00/終末の空で

《五月二十七日・土曜日・赤口》


 空が赤い。燃えているのだ。赤黒い、血のような炎を上げて。

 燃えているのは空ばかりではない。今や目に見えるすべてが、グロテスクな色の熱を噴き上げて、轟々と猛っていた。コンクリの地面も、レンガの壁も、暗いガラスも、民家もビルも鉄塔も、文明的な何もかもが。

 終末――そう形容すべき情景であった。

 そんな炎熱地獄の只中に、人影がある。宙にふわりと浮いている。

 ほかに人の気配はない。宙に浮遊するその者だけが、人の形をしていた。

「ようやく、ようやく、成し遂げた」

 震える声で独り言つは、女の声だった。しかもその声には、まだまだ青々とした幼さが匂う。少女と呼ぶべき年頃やも知れぬ。

 けれど彼女の風体は異様だった。頭のてっぺんからつま先まで、夜色の甲冑で覆われている。般若の面が顔を隠し、背中からは漆黒の翼を生やしている。黒翼を翻して滞空するその姿は、まるで天上の兵(つわもの)か。

 甲冑の少女は、燃える空をじっと見上げていた。

 そのとき、風が唸った。

 黒のインクで塗りつぶしたような厚い雲を貫いて、巨大な何かが降ってきた。

 樹だった。大きな、あまりにも大きな樹だった。東京タワーもかくやという大樹が、赤々と炎を宿しながら、天を一直線に貫いて墜落した。

 衝撃と爆風が嵐となった。民家ほどに大きな木片が四方八方に飛び散り、下敷きになった建物の群れが、粉塵と化して散じた。狂奔するショックウェーブが甲冑の少女を叩いたけれど、彼女は微動だにしなかった。

「......これでついに、終わったのね......」

 その呟きには万感の思いがこもっていた。般若面の下は熱い涙に濡れていた。

 この終末の景色こそ、彼女が求めてやまなかったものであるがゆえに。

 けれど。

『否、まだぞ!』

 少女の脳裏に、どこからか警告の叫びが響いた。別の女の声だった。

「まだって、どういうこと? 敵はすべて倒したわ」


『いいや、あの死にぞこないめ、生存の危機とあって生き汚くも子種を撒くつもりでおるらしい。......つまり、分身を残そうとしておるのだ。ここで逃がしては、今までの努力が水の泡ぞ。なんとしても止めねばならん』

「なるほど、そういうことなら」

 彼女の胸に再び、切実な戦意が湧いた。ここまできて、これまでの努力を水泡に帰すなどまっぴらだ。少女は翼を羽ばたかせ、猛然と嵐の中に突っ込んでいった。目指すは終末世界の中心点。堕ちた大樹の骸のもとへ。

 けれどそのとき突如として、彼女の前にもうひとつの人影が現れ、立ちふさがった。

「何者!?」

 もうもうと煙る大気の向こうに浮遊する人影。それは少女の進路を遮るように浮いている。彼女のそれとは対照的な純白の翼。同色の体毛で覆われた躰。雪華のような羽根を散らして舞う姿は天使のようだ。

 けれどその者の全身からは、天使とは程遠い、刺すような殺気が迸っている。

「そこをどきなさい!」

 警告するも、対する人影はむしろ敵意を剥き出しにした。

 人影(性別不詳だが、仮に「彼」としよう)の右手が、ゆらりと持ち上がった。しなやかな白い指先......その先にある空間が、ぐにゃり、と歪んだ。景色そのものが熱でとろけたように、ねじれてしまう。蜃気楼じみたゆらぎの向こうに、彼は右手を突っ込んで、勢いよく引き出した。

 その手には一振りの、肉厚な長剣が握られていた。

 彼は手の内で剣をくるくると弄び、そして少女に向けて突き付けてきた。

「やる気ってわけね......」

 衝突は避けられそうもない。肚を決めねばならないようだ。

 直後、純白の乱入者が雄叫びをあげ、猛然と飛びかかってきた。

「来るなら......ッ!」

 少女は咄嗟に、背中に括り付けてある大太刀の柄に手を添えた。途端に、彼女の脳裏に警告の声が鳴り響いた。

『主さま! これ以上〈魄喰刀(はくじきとう)〉を使うのはまかりならぬ。主さまのほうが先に「喰われて」しまうぞ!』

 手が止まった。般若面の下にある彼女の顔が、口惜しさで鬼の形相になる。

「ままならないわね」

 迫りくる白影。剥き出しの敵意を前に、少女もまた牙を剥いた。

「打ち合うしかないか!」

 大太刀に伸ばしていた手を、今度は腰に差している打刀にもっていった。

 このとき、飛来する敵手、左前方七十度、距離二十メートルに在り。袈裟掛けに打ち下ろすように斬りかかってくる。対する少女は柄本に右手を添えたまま、翼を畳んでさらに速度を増した。居合の構えである。彼女は猪突もかくやの豪速にて相対し、刹那ののちに激突した。

 漂う熱波を切り裂いて、猛然と落ち来たる肉厚の刃。けれどその一撃は甲冑の少女を捉えること能わず。何故なら少女は、加速に加速を重ね、すでに敵手の内懐――刃圏の内側に飛び込んでいたのだから。

「ふっ!」

 熱い呼気とともに彼女は右肩から相手の胸元に突入した。空振りした長剣の刃が、彼女の左肘をかすめる。少女はそのまま速度を上げ、純白の敵とすれ違うように、向かって右側面へ抜けようとし――同時に刀を抜き放っていた。

 一瞬。

 一閃。

 漆塗りの鞘から、白々とした刀身がにわかに顔を出した直後、その刃はがら空きになった敵の右脇下に当てられていた。

 そして少女は、刃を引くようにしながら、そのまま前方へ翔け抜けた。

――殺(と)った。

 刃の走ったあとから、ホースに穴を開けたように、赤々とした血が勢いよく噴射した。脇下に走る腋窩動脈を切傷したためである。有翼の人外といえども、人体の急所は同じだったらしい。

「オオオオアアアア!!!」

 苦痛を滲ませる、嗚咽にも似た叫びが背後から轟いた。少女は振り返らず、そのまま進んだ。時間が惜しかったのだ。けれどその行動が仇となってしまった。

『主さま! 後ろだ、敵がまだ!』

 数秒ののち、切迫した警告の声に殴りつけられ、咄嗟に振り向いた少女は、そのときすべてが手遅れであることを悟った。

「しまっ......」

 白い光が目を焼いた。

 それはまるで、SF映画に出てくるレーザー兵器の一撃だった。極太の、収束した光の束が少女に迫り、背後から彼女の右手と右翼を直撃した。

 それは不気味な感覚だった。肌の内側、骨の髄がゴボゴボと泡立って、血肉が溶け出すような感覚だ。痛みさえない一瞬ののち、彼女の右手と翼は、跡形もなく消し飛んでいた。

「えっ......あれ............?」

 衝撃のせいか、ふっと浮き上がるように、意識が体から遊離した。

 そんな状態で飛行を継続できるはずがない。少女は空中でバランスを崩し、きりもみしながら落下した。

『そんな、主さま! お気を強く持たれよ! 敵が、敵がまだ!』

 頭の中で絶望に満ち満ちた声がこだました。

 そしてその言葉の通り、あの白い人影は憤怒の形に表情を歪め、傷ついた右手を力なくぶら下げながらもむしろ勢いづき、獣じみた動きで落下する少女を追いかけてきた。

 敵は少女に追いつくや、手足を使って、空中で彼女にしがみついた。敵の顔が近い。それはまさに、怪物そのものの顔だった。純白の体毛に埋もれた体と違って、皮膚の露出した顔だけは黒々としていた。その歪んだ顔は、人のものではない。嫉妬、憎悪、憤怒、あらゆる悪感情を塗り固めた鬼の顔(かんばせ)だ。

 朦朧とした意識のなか、少女はほとんど無意識で、向かい合った鬼の顔に対して誰何した。

「お前は、誰............?」

 答えを期待した問いではなかった。

 なかったのに......。

「............え?」

 霧が晴れるように、一瞬、鬼面の皮の下......ソレの本質が視えた。

 その瞬間、少女の戦意を支えていた最後の柱が、真っ二つに砕けた。

『危ない! 主さま!』

 両足で蟹バサミのように取りついてきた怪物は、長剣を左手に持ち替えて振りかぶった。

 振り上げた刃が、まばゆい白の光を放っている。まるで眼前に太陽が出現したような光量と熱に、肌がじりじりと焦がされる。今一度あの怪光線を放つつもりなのだろう。

 少女の体は未だ満足に言うことを聞かない。体を動かすエネルギーそのものが、傷口からだくだくと零れ、失われているのだ。

 ここで少女は直感した。

 私は、ここで死ぬのだ、と。

 そんな刹那の瞬間に彼女の心を満たしたのは、恐怖でも絶望でもなかった。それは燃えるような使命感だった。

 仲間を――かけがえのない「彼女」を守らなければ......と。

 だから彼女は行動を起こした。

『な、主さま、何を!?』

 魂魄が反転する。少女の体が光に包まれた。

 直後、これまで彼女の体を包んでいた甲冑が、突如として光の粒子になってほどけた。これまで武骨な甲冑に秘されていた、セーラー服姿の少女の体があらわになった。

 それと同時に、対敵の刃が奔った。そして閃光が爆発した。長剣の刺突が怪光線となって、少女の鳩尾を貫いた。

 少女の腹に、こぶし大の大穴が開いた。離れた場所で、魂を削られるような絶叫が聞こえた気がした。

 純白の怪物が少女を解放した。彼女にはすでに飛翔する力などない。木から剥がれ落ちた蛹のように、地にむかって墜落するのみだった。

――これでいい、私たちの戦いは、こんなところで終わってはいけないんだ。

 諦念と満足とをないまぜにした笑みが、少女の顔に広がった。

 紅の雫が、血の色の空に向かって落ちていくのを、彼女はぼんやりと眺めていた。

 堕ちる。

 風音が耳元で轟々と鳴った。今更のように、重力の鎖が体を引いているのを感じた。

 敵影が遠ざかる。

 そのとき、落下する体にしがみつく、もうひとつの体温を感じた。

「主さま、主さま! どうして、ああ、そんな! 私を、私ごときを庇われるなんて!!」

 悲痛な叫びは猛り狂う熱風に呑まれてしまう。いつの間にか、落下する人影は二人になっていた。一人は血の軌跡を宙に残しながら落ちる、セーラー服の少女。もう一人は、いつからそこにいたのだろう、おかっぱの髪をした和装の少女だった。彼女は無傷で、血の代わりに涙の粒を空に撒きながら、付き従うように落ちていた。

 和装の少女は何事かを叫び続けているけれども、セーラー服の彼女は、もはやその呼びかけに応えることはできそうになかった。

 終末の空を堕ちていく。今や地面が近い。

「主さま......ッ!」

 和装の少女は、ぐんぐんと近づいてくる荒廃の大地を見やり、一たび涙を拭うや、「主」の体をひしと抱き寄せた。直後その背中から、大きな黒色の翼が生え、広がった。

「ぬぐ、ぐ」

 速度が落ちる。けれど止まりはせぬ。和装の少女は自分の体が下に、「主」の体が上になるように体勢を変えると、翼を楯のように広げて落下した。

 二人の体は、瓦礫の街に墜落した。炭化した材木を貫いて、粉塵を巻き上げながら転がっていく。落下のエネルギーがあまさず散って、ぼろ雑巾のような体が止まったとき、二人は空を見上げる体勢になっていた。

 少女はすでに瀕死だった。右手は根元より断ち切られ、腹部には風穴が開いている。それでも辛うじて生きているのは、傷口がほぼ炭化し、怪我の程度のわりに出血が少ないからだろうか。しかしいずれにせよ、彼女の生命はすでに限界が見えていた。

 彼女自身、そんな己の運命を誰よりもはっきりと自覚していた。

――自分の戦いは、ここで終わりなのだと。

 そのとき少女は、ぼんやりと曇った視界の先に、小さな光が点々と輝いたのを見た。光の数は七つ。大樹の骸から飛び出して、燃える空に浮き上がったと思うと、それらは瞬く間に四方八方へと飛び去っていった。

――あれが多分、あの大樹の分身。

――〈梵天樹〉の種子。

「間に合わなかったんだ......」

 瓦礫の街。墜落した少女は指一本動かせぬまま、血の色の空を見上げていた。

「主さま! 主さま!」

 呼ぶ声が聞こえた。涙にむせぶ声。これまで一緒に戦ってくれた相棒の声だ。自分を支えて、守ってくれた親友の声だ。

 座敷童にも似た和装の少女が、おかっぱの髪を振り乱し、滂沱の涙を溢れさせながら、懸命に少女の肩を揺すって語り掛けてきた。

「主さま、どうかもう一度着甲を......このままでは、異界の気(ケ)に呑まれてしまいます!」

「............もう、手遅れ、だわ」

 吐息よりも微かな声で答えた。少女の肌とセーラー服の表面に、結露が滲むように、おぼろな光の粒が寄り集まってきていた。光の粒は、まるで蟻の群れが蝶の死骸を食い散らかすように、少女の体内へ穿孔していこうとする。

 その様を見て、和装の少女はより一層取り乱し、顔をくしゃくしゃにした。

「どうして、こんなことを......。私なぞを庇って............!」

「夜叉姫......」

 泣き腫らす少女の、白々と輝く頬に、血塗れた細い手が触れた。

「主......さま?」

 夜叉姫と呼ばれた和装の少女は、呆然と「主」の顔を見た。「主」の瞳は今や虚ろで、確かな焦点を結んではいなかった。

「〈魄喰刀〉を......、あいつが来る前に、早く............」

 魂ごと搾り尽くすように、震える唇が言葉を紡いだ。夜叉姫が慌てて周囲を見やると、今まで少女が背負っていた大太刀だけが、甲冑のように霧消せず、傍らに転がっていた。

「ここに、ここに御座います」

「よかった......、それがあれば、あなたはまだ戦える......」

「............な、何を他人事のように。お立ちあれ、我が主。撤退し、再起を図るのです。我々ならば、何度だって戦える! 如何なる敵であろうと、如何なる困難とであろうと! だから、さあ、どうか、どうか......」

 懇願するようにこうべを垂れる夜叉姫。その姿が見えているのか、いないのか、少女は疲弊の滲む笑顔をゆるゆると形作り、長く息を吐きだした。

「私は、もう......無理よ............」

「何を! 何を仰るか!!」

 激しく首を横に振った。夜叉姫は受け入れられない。守るべき「主」が、あろうことか自分の犠牲になって斃れるなど、あってはならないことだった。

「お願いします、主よ。私は、私は貴女を失いたくない」

 けれど少女は微笑とともに、穏やかにこう言うのだ。

「私が生き残っても......使命は、果たせない。だから、あなたが」

 少女の手が、夜叉姫の手に重なった。

「生き残って............どうか、私たちの............無念を.....................」

 血にまみれた少女の手が、固い地面の上に落ちた。やがて彼女の胸のあたりから、仄かな光の泡が滲みだし、浮き上がった。これまで彼女の体に張り付いていた無数の光点が、その泡の後を追って次々と飛び立ち、やがてともどもに黒色の空へと吸い込まれて消えていった。

 それこそ、ひとりの少女の物語が、終わりを迎えた証左であった。

 残されたものは、横たわる、冷たい人の形のみ。乾燥した、もう動かない細い指を握って、夜叉姫と呼ばれた少女は、しばし呆然と固まって、やがて涙に濡れた顔を伏せた。

「お任せあれ。いつか、いつか......、たとえ、幾年(いくとせ)時が廻ろうと、必ずや、貴女さまの悔恨を雪ごう」

 呟いた決意が胸に満ちた。ぽっかりと空いた空洞に、新たな火が宿るのを感じた。

 そして彼女は顔を上げた。視線の先、はるか上空にぽつねんと白い影があった。愛する「主」を奪い去った、憎き敵影である。

――今は、逃げねばならぬ。

――けれど、いずれ、いずれ......。

 熱風と火の粉に舐られながら、夜叉姫は歯を剝きだし、決然と意を固めた。

「待っていろ......、私は必ず、この悪夢を踏破してみせる」


 こうして、ひとつの少女の夢が終わった。

 そして、次なる悪夢の扉が開く。


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