05/そして「オニ」となる

《七月十日・月曜日・先負》


「おいおい、マジかよ」

 月光が照らし出すビルの屋上で、血濡れの殺人鬼は隠しきれぬ喜悦を滲ませて笑った。

 禮泉崇史......そして夜叉姫。倒れ伏す少年と少女の体が輝いていた。どちらもすでに瀕死である。そんな彼らが発する輝きは、当然のことながら自然(じねん)の理に因るものではない。人体に発光の能力などないのだから、この光景の異常性は明らかであろう。

 殺人鬼はその様を、にやにやと笑いながら傍観していた。

『何だ、薛茘多(へいれいた)......これは何が起きている!?』

 彼の内側で、別の男の声が混乱の声を上げた。それは殺人鬼――「魘(オニ)」である薛茘多の「主」の声だ。

 しかし薛茘多は主の絶叫を無視した。彼はただ、眼前の出来事を見守るのみだ。

『薛茘多!!』

 なおも食い下がる主に、彼は弛緩した笑みを崩さぬまま、なげやりに答えた。

「なあに慌てんなって。これはな、目の前にぶっ倒れてるこいつらが、今まさに『契約』を済ましてる真っ最中なんだよ。新しい『魘』と『夢巫子』になるんだ」

『何だと......? 莫迦な、だったら早く、そうなる前に早く殺せ!』

 それでも殺人鬼は動かず、主の命令を黙殺しようとした。彼の目の前で、己の敵となりうる存在が、新たに生まれ落ちようとしているというのに。

 薛茘多という魘は「闘争」というものに憧れを抱いていた。けれど彼の主はそれを理解しない。

 今彼の胸の内にあるのは「この機会をみすみす失ってたまるか」と......そんな感情であった。

 だから彼は主に向かってはこう説いた。

「まあ待てって、主さん。いい機会じゃねえか。いずれ俺たちにも、闘う時が巡ってくる。童貞捨てるのは早ければ早いほどいいだろ? 殺し合いだって同じさ」

 含み笑いしながら言った途端、彼の頭の内側で、もう一人のパーソナリティががんがんと反対意見をがなりたててきた。

「いててて! 頭の中であんまり騒ぐなって!」

『黙ってろ! お前なんかに任せた僕が莫迦だった! 主導権を返せ!』

「あっ、おい待てって。面白くなるのはこれからだぜ。......ああっ、チキショー!」

 殺人鬼がぐらりとよろめいた。彼の内部で、二つの人格が主導権争いをしていた。

 そしてその間にも、事態は間断なく進行していく。

 そう、今まさに、一個の戦士が誕生しようとしているのだ。

 輝く崇史の体が、ゆらりと起き上がった。鳩尾のあたりには、大きなこぶし大の穴が黒々と穿たれている。生きていられるはずはない。ましてや起き上がるなど、とてもとても。けれど実際に彼は二本の脚で地を踏みしめ、燃える視線を薛茘多に向けていた。

 死にかけの体で、けれどその闘志は一寸の揺らぎもない。大地を踏む足も、大樹の幹のようにがっしりと。

 崇史の視界に、現世の夜景が映った。

 今、崇史は感動していた。街の夜景が、そして胸を満たす夜の気配が、これほど美しく、これほど心地よいものだと感じたことはなかった。息さえできぬ暗い海から舞い戻り、世界が全て輝いて見えた。

 感覚が鋭敏だ。体は生命力に溢れている。まるで自分の中に二人分の心臓が詰まっているようだ。血の巡りも、倍の速さに感じている。脈打つ血潮の波がわかる。

 崇史の視界が、鮮明に眼前の光景を映し出した。そしてそこには当然、あの襤褸纏いの甲冑姿が......恐るべき殺人鬼が立っていた。

 炎が吹き上げた。炎は崇史の心臓から動脈血に乗って全身を巡った。胃を、肺を、喉を、頭骨の内側を焼いた。

 そのとき、彼の口から、人知れず不思議な言葉が溢れ出した。

『我、悪徳世を覆うを許さず、道理道義の防人たるを欲す』

 それは崇史の意によって放たれる言ではなかった。自然と、心の深奥から、湧き出るように零れだしてくるのだ。

 まるで何らかの詩を唱うように、彼は朗々と詞(ことば)を紡いだ。

『大敵眼中にあり。焉んぞ其の初志を遂げざらんや!』

 今の彼には知る由もないが、それは「誓約(うけい)」だった。

 魘と人がともに闘うための、誓いの詞だ。そしてその文言は、心魂に刻みこまれた価値観、アイデンティティを映し込んでいる。

 いわばこれこそが、崇史という人間の在りようであった。

二人を包み込む輝きが、その密度を増した。今や流星の煌きにも似た鋭い光が、闇夜を裂いている。

 詞とともに、新しい自分が生まれるのだ。

――理不尽に抗する力をもって!

 彼は叫んだ。暗天を食い破るが如き熱誠を込めて、叫んだ。

『着甲! 魘鎧(オニオドシ)〈夜叉〉!!!!』

 瞬間、夜叉姫の肉体が、光の粒子となって崩れた。

 崩れた光は、天の川のように闇夜を奔り、崇史の周囲へ集い、渦を巻いた。

 そして恐るべきことが起きた。まるで時間を巻き戻すように、崇史の傷が塞がっていくのだ。噴きこぼれた血潮は光の波に乗って宙を舞い、浄化されて体内に戻っていく。崇史の全身は、一瞬で元の健康な体を取り戻した。まさに奇跡だ。

 しかし変化はそれだけではない。かつて夜叉姫だった光の川は、崇史の全身にまとわりつき、直後その形態を変じた。

 凝集した光点が物質へと変貌した。それは少年の体を覆う衣であった。その形状は、古めかしい和の装束――白地の直垂(ひたたれ)を模した。

 次いで星の如き閃光が二度三度と輝き、それが鴉羽色の甲冑を形成した。ただし全身を覆う鎧ではない。両手を籠手で覆い、足には脛当をし、貫(つらぬき)を穿く。そして佩楯(はいだて)を取り付けたのみの、いわゆる小具足姿である。

 数瞬前まで瀕死であった少年は、今や鎧戦士の装束へと変わり、軽やかな仕草で光の渦から一歩を踏み出した。

 最後に、蛍のような光点が彼の額に滴って、弾けるように広がった。そしてそれは彼の顔全体を覆う般若の面に変貌し、そしてその面を覆うように彼の後頭から黒色の鬣(たてがみ)が生え、地に着くほどに長々と伸びた。

 崇史は己の両手をしげしげ眺め、呟いた。

「この世のものとは思えん」

『然り、これはこの世の力では御座らぬ』

 途端、頭蓋の内に響く声。少女の声だ。

『これは私――〈夜叉〉という魘(オニ)を鎧と化し、身にまとう形態......いわく「魘鎧(オニオドシ)」である』

「オニオドシ......」

 その厳かな響きが、崇史の鼓動を高鳴らせた。

『我ら魘は、こうして人と契りを交わし、その契約者と一体となることで最大の力を発揮する。今や少々の傷なぞものともせぬぞ』

「つまりこの鎧は、夜叉姫――君そのものだということか」

『いかにも』

 ここで崇史ははっとして、視線を前方に向けた。

 闇色の甲冑姿が、額に両手を当てたまま、微動だにせず突っ立っている。

「ひょっとして、ヤツも......」

 夜叉姫とあの殺人鬼めは同種だという。となれば、目の前にいるあの甲冑姿も、今の自分と同じ状態といえるだろうか。

『その通り、あれなるも魘鎧に相違ない』

 崇史の予測は肯定された。

 すると夜叉姫は、声を低めて彼に問いかけた。

『契約を、忘れてはおらぬな?』

 オニを打ち倒すのが我が使命と、そう語った少女の決意のまなざしが、脳裏によみがえった。

「奴は人殺しの鬼。望むところだ」

 崇史はみなぎる戦意の任せるままに、身を乗り出した。

 彼の足元に、長大な大太刀が転がっていた。夜叉姫が背負っていたものだ。崇史はそれを拾い上げた。

『その刀は抜くな。鞘付きのままぶん殴ってやるといい』

「?? ......ああ、わかった」

 実のところ、夜叉姫が「抜くな」と命じたのには、崇史の知る由もない理由が他にあるのだったが、このとき彼は単に「殺さず無力化しろ」程度の意味に捉え、素直にうなずいた。

 彼は大太刀を肩に担ぎあげ、じっと立っている殺人鬼を見据えた。

 あの者は強大な力の持ち主だ。いっそ殴り殺すつもりでかからねば、太刀打ちできないかもしれない。

 崇史は意を決した。

 だがここで、不可思議なことに気づいた。眼前の「オニ」が動かぬのだ。それは威風堂々としているとか、そういうことではなく、まるで凍ってしまったかのように、唐突に電源を落とされた電子機器のように、固まってしまっているのだった。

「何だ?」

 怪訝に思い、一瞬崇史の足が止まった。

 脳裏で夜叉姫が答えた。

『どうやら向こうは、まだまだ意思疎通が完璧であるとは言い難いようだ』

 その言葉が聞こえたわけでもあるまいが、まるでそれに答えるように、唐突に殺人鬼は叫んだ。

「もう! うんざりだ! 僕はこんな、野蛮なことに巻き込まれたくない!」

 声には狂乱の気配が混じっていた。これまでの愉悦混じりの態度とはまるで様子が異なる。それに声質も、さっきまでとは別人のもののように聞こえた。

『あれが彼奴の「主」か』

「何? どういうことだ?」

 訳知りらしい夜叉姫に問う。

『さっきも申した通り、あの鎧姿の形態は、魘(オニ)とその主が一体化している状態。普通は主のほうに肉体の支配権があるものだが、あ奴めはその逆なのだろう。今までは魘の方が主となってあの肉体を動かしており、そして今、それが入れ替わった』

 二重人格のようなものだろうか。

「だとすれば、殺人を犯していた人格は......?」

『うむ、魘である可能性が高い』

 そして今はそうではない。現在あの殺人鬼の支配権は、これまでと違って、真の主の側にあるということか。

 今ならば、いきなり殴りかからずとも事態を好転させられるか? 崇史は意を決して話しかけた。

「君、聞いてくれ」

 殺人鬼は驚いたように後ずさった。明らかに今までと態度が異なる。

「君がもしも、これまでの行いに対し、少しでも自責の念を抱いているのなら、自首してはくれまいか?」

 その言葉に対し、殺人鬼が返事する前に、頭の中で夜叉姫が言い捨てた。

『主どの、それは無駄だ』

――何故言いきれる?

『魘とその契約者の結びつきを、軽んじてはならぬ』

 するとその警告の通り、相手は首を横に振った。

「莫迦げたことを......」

 その声は震えてはいたものの、はっきりと拒絶の意思を示していた。

「こんなことがバレたら、僕は終わりだ......。僕はもう、引き返せないんだ......」

 すると彼は突然身を翻し、こちらに背を向けた。

『逃げられるぞ!』

「おのれ......、させるか!」

 刀を八相に、右肩の上に担ぎ上げるように構えると、崇史は全力で突進した。

 そして驚いた。なんという力! 丹田から溢れたエネルギーが足に流れ、地を蹴る力は爆発するかのよう。弾き出された銃弾じみて、崇史の小具足姿は敵手に向かって突き進んでいく。

「ひっ」

 しかし恐慌に駆られた相手が、フェンスを飛び越え、視界の外に消え去るほうがわずかに早かった。袈裟がけに切り落とした刀は、鞘付きにも関わらず、フェンスを飴細工のように歪めたものの、本来の標的を取り逃してしまった。

「待て!」

『飛び降りよ崇史! 今の我らであれば、この程度の高さ、屁でもない!』

「応!」

 献策に従い、ビルの頂上から身を躍らせた。眼下の地面までは十メートル以上の距離がある。けれど恐怖はない。体中に渦巻く気力が、恐るるに足らぬと告げている。

 実際ダメージは一切なかった。即座に周囲を見渡し、逃亡者の後ろ姿を探した。T字路を北に折れ曲がる、灰色の襤褸がちらりと見えた。

「逃がさん」

 その背を追って駆けだそうと、再び崇史が両足に気力を充満させた、その時だった。

 再び空気が揺れたような感覚がした。

「そこまでです」

 直後、場の空気にまるでそぐわぬ、穏やかな女の声がした。

 気を取られて立ち止まる。いったいどこから聞こえた? と、ほんの一瞬視線を彷徨わせた。

『目の前だ』夜叉姫が低い声で言った。

「ここですよ、先輩」

 もう一度呼ばわる声。声の方向に目を向けて驚いた。どうして気づかなかったのだろう? 声の主は、彼の真正面――殺人鬼が逃げていった通りの真ん中に、堂々と立っていた。

 そこにいたのは少女だった。しかも、何やら見覚えのある服を着ている。巻根第一高等学校のセーラー服だ。それだけならごく普通の出で立ちなのだが、不気味なことに、彼女は何やら赤黒い仮面をかぶっていた。形状は鳥のくちばしを模している。

 そしてその声と体のシルエットには、大いに覚えがあった。

「未散?」

 そうだ、未散だ。おかしなマスクをかぶっているが、蒸発していた彼女に間違いない。

 崇史はいささか面食らったが、しかしすぐに本来の目的を思い起こした。目前の少女のことは、実に気にかかるが、今はそれどころではない。ここで殺人鬼を逃がすわけにはいかないのだ。

「なんだか知らんが、今は忙しい! 通してもらうぞ!」

 言って足を踏み出した。

『崇史、彼女は......』

 夜叉姫が何かを言いかけたが、崇史は気が急いてそれを聞き逃してしまった。

 彼は再び駆け出した。レーシングカー並みの速度の前進だ。そしてその速度を保ったまま、地面を力強く踏みつけて跳躍した。少女を飛び越えようとしたのだ。

 直後、夜叉姫の切羽詰まった警告の叫びが響いた。

『崇史! 上だ!』

「何!? ......ッッ!」

 一瞬だった。空を舞った崇史の、そのまた頭上に影が差した。何かが上から降ってきたのだ。

 しかし崇史は、その正体を視認する間もなく、肩を打つ衝撃とともに遥か後方へ吹き飛ばされていた。

 背中からコンクリートに打ち据えられ、それでもなお勢い余り、数メートルはゴム毬のように転がされる羽目になった。

「一体、何だというんだ......」

 衝撃こそ凄まじかったものの、外傷はさほどない。これがオニオドシの力なのだろうか。とにかく崇史は即座に立ち上がり、自分に襲い掛かったものの正体を視認した。その姿形を見て、崇史は確信をもって夜叉姫に問うた。

「あれも、僕らの同類か?」

『......いかにも、その通りだ』

 鳥仮面の少女の前で、新たに表れた人影が、彼女を守るように立っていた。それは夕焼けのような、はたまた秋の田の稲穂のような、とにかく諸人の目を引く黄金の色を纏った、甲冑の鬼であった。

 金糸の縅(おどし)が全身を覆っている。頭部から長く垂れる鬣(たてがみ)の色も黄金だ。鎧の下の直垂は朱染めにしているらしい。夕焼けの黄金に、血のにじむような朱が混じっている。そして鬣の下、わずかに覗く鬼の仮面は、月光と同じ、透けるような白色をしていた。

 そしてその者の右手には、成人男性の背丈よりもなお大きな太刀が、鞘から抜かれぬまま握られているのだった。

 先の崇史は、あの新たな「オニ」に弾き飛ばされたらしい。

「邪魔をするつもりか?」

「ええ、ガッツリ邪魔しますとも。もう先輩は、今夜はこれ以上首を突っ込まなくていいんです」

 崇史の叫びに答えたのは、黄金のオニではなく、鳥仮面の少女だった。

「......未散だな。これはいったいどういうわけだ?」

 すると少女はやれやれと肩をすくめて、首を横に振った。

「今のあたしは、あのキュートでプリティされども人畜無害な女子高生、あなたの後輩未散ちゃんとは違います」

「何が違う」と問い詰める前に、少女が先を制して言い放った。

「あたしはアマランサス。この世と悪夢の渡し人。そして同時に、とあるゲームの主催者でもあるのです。イエーイ」

 何とも呑気な調子でVサインを突き付けてくる彼女に対し、崇史は焦りを募らせていた。

「未散、そこをどいてくれ。僕は今殺人犯を追っている」

「くふふ、そんなもの、もう手遅れだと思いますよぉ」

 崇史はぎりぎりと歯を食いしばり、少女の隣に立つオニにも視線を向けた。

「あんたも、何が目的だか知らないが、どいてくれないのか?」

 黄金の人影は、大太刀をだらりとぶら下げたまま、微動だにしなかった。

 崇史は無言で、太刀の柄を砕けるほど握りしめた。

『主どの......言いにくいが、ここはもう無理だ』

「何?」

『魘(オニ)の脚力にはもう追いつけまい。それに、どうやら無理に突貫した場合、彼奴との戦闘は避けられそうもない。そうなっては猶更......』

「オニを倒すのが君の使命ではないのか? そう言ったじゃないか」

 すると夜叉姫は、悔しさを滲ませる苦々しい声音を返した。

『勝てぬ戦いはするものではない。あの魘、強いぞ』

 それが、目の前に立ちふさがる黄金のオニを指しての言葉であることは明白であった。

『今の我らでは、無駄死にになる』

 冗談でも、怖気づいたわけでもないようだった。

 崇史は大いに舌打ちして、太刀をだらりと降ろした。

「貴様ら、何が目的だ?」

 怒気を含めて問いかけるも、少女――アマランサスはどこ吹く風だ。ピエロのようにくるりと回って、心底愉快そうに崇史に語りかけてきた。

「目的は決まっていますよ。事態を、もっともっと面白くすることです」

 その物言いは、殺人の理由を「楽しいから」と抜かしたあのオニを彷彿とさせた。

 未散......自称アマランサスは仮面の下でくつくつと笑いを洩らしていた。

「そもそも、この舞台を演出したのはあたしですよ? くふふっ、先輩ったらチョロくって助かりました。あたしがけしかけるまでもなく、あの魘に立ち向かっていくなんて!」

「やはり、未散......いや、アマランサスとやら、君が僕をここに呼び出した目的は......」

 問いに対し、少女は嗤うだけで何も答えない。仮面の下に秘められた表情を窺い知ることは出来ない。けれどその態度は、言外に多くのことを語っているように思われた。

「君も、人間ではないんだな?」

「さあ? ご自由にご想像ください、セ・ン・パ・イ」

 おどけるアマランサスに対し、崇史は怒りと当惑の入り混じった視線で睨みつけた。

「どうして僕を巻き込んだ......? 君たちが何を企んでいるのかは知らない。けれど、どうして僕なんだ」

 純粋な疑問だ。もしも彼女が、禮泉崇史を狙ってこの場におびき寄せ、あの「オニ」と接触させたというのなら、それがどうして崇史でなければならなかったというのか。

 しかし彼女はまだ、まともに取り合う気がないらしい。

「先輩って、ミステリー小説とか読みます? ミステリーは、最初から全部の伏線が明かされていたらつまんないですよね。あたしは事態を面白くしたいので、その質問にはお答えできませーん」

 ふざけた態度に苛立ちが募る。それは、しばらく沈黙を保っていた夜叉姫も同じらしい。『ふざけた奴め......』と吐き捨てる声が頭の中に響いた。

 その気配が伝わったのかは不明だが、アマランサスは今さら場を取りなそうとしてか「まあまあ落ち着いて」などとなだめながら、手をスカートのポケットに突っ込んだ。

「本題はこれなんですよ」

 そうして彼女が取り出したのは、一枚の封筒だった。そしてそれを、手裏剣のように投げ渡してきた。

 受け取るとその封書は、丁寧に封蝋が刻印された、見るからに上等な紙質のものだった。

「これは......」

「中身を読んで、よおぉぉぉぉく考えてくださいね」

 一体これは何事かと訊ねようと顔を上げたとき、再び空気が揺れ、未散の姿は街路から忽然と消え去っていた。

 狐狸(こり)に化かされた気分だった。いや、実際それに近いのだろう。

「やはり彼女も、この世ならざる者の一種ということか......」

『ああ、その通りだ』

 夜叉姫がそう断定した。その口ぶりから察するに、彼女もまたあのアマランサスなる者に対して、何らかの因縁があるらしい。後でよく話し合わねばならないだろう。

 しかし今はその時ではない。何故なら崇史の眼前には、あの黄金のオニが、沈黙を保ったままそこに残っているからだ。

「相方は逃げたようだが、あなたはどうするんだ?」

 挑発的に問いかけるも、それに応ずる様子はない。黄金のオニはしばしこちらを睨みつけたのち、くるりと踵を返した。その直後、彼(彼女?)は軽やかに跳躍し、ビルの壁面を上り、飛び越え、夜の闇に消えていった。

「完全にしてやられたということか」

『そう、さな』

 返ってきたのは、相変わらず苦渋に満ちた声だった。

 辺りが沈黙に包まれてのち、崇史の体が光に包まれ、小具足が崩れ、光の粒子となって空に散った。そしてそれらは再び夜の一点に結集し、和装の少女の姿をとった。

 一夜の夢のような、塗り込めた絵画のような美しい姿を目にし、崇史はしばし放心した。

「今でも、夢を視ているような気分だ」

「そうだろうとも。しかし、受け入れてもらわねば困る」

「......ああ」

 街灯のない裏路地の先の闇を見据えた。

「結局、取り逃してしまったか......」

「うむ、しかし我らが闘うと決めた以上、再びまみえることもあろう」

 夜叉姫は言いながら、渡された封筒を取り上げた。

「開けるぞ。よいか?」

 首肯すると、すぐに彼女は爪で封筒をこじ開け、中身を引き出した。入っていたのは、高級感のある一枚の書状だ。

「見せてくれ」

 二人して覗き込んだ。

 紙には以下の文面が、流麗な文字で書きつけられていた。


          *****

 禮泉崇史 様

 夜叉姫 様

 おめでとうございます! 

 あなたがたはこの度、近日開催される〈魘蠱遊戯〉への出場が決定しました。

 おふたりの健闘を期待しております。

 なお〈魘蠱遊戯〉の概要につきましては、来る七月十三日(赤口)にオリエンテーションを行い、詳しく説明させていただきます。

 血染めの月夜に、神樹の墓所でお待ちください。

ゲームマスター・アマランサス

          *****


「ふざけているのか?」

「ふざけているのだろうな、だが」

 まったく腑に落ちるものがない。ただただ当惑する崇史に対し、夜叉姫は何やら深刻な表情で頷いていた。

「ふむ、無視できん」

「どういうことだ?」

 問いかけた崇史に対し、夜叉姫が返答をよこそうと口を開きかけたとき、突然崇史のポケットの中で固いものが振動した。彼の携帯だ。

「あっ、もしや」

 慌ててそれを取ると、画面に表示されたのは「公衆電話」の文字。急いで通話ボタンを押して耳に当てた途端、大音響の怒声が耳をつんざいた。

「お兄ちゃん! 遅い! いったいどこをほっつき歩ってるの!」

 これから説教をぶたれるであろうことがありありと分かったにも関わらず、その聞き慣れた声は、崇史の心に安堵をもたらした。

 なんだか、久しぶりに日常の世界へ触れた気がした。


 巻根駅近郊。夏の夜風が吹きすさぶ高層ビルの屋上に、その魘(オニ)の姿はあった。

 その者は白銀の甲冑を着込んでいた。縅(おどし)ではなく板金によって構成される鎧――いわゆる南蛮鎧だ。天を覆うほどに大柄な体躯である。その者が被る兜の頂には、水牛のような立派な角の装飾が生えていた。

「ちゃんと見てた? 乾闥婆(けんだつば)?」

『委細、取りこぼしなく』

「彼ら」が見下ろす視線の先には、巻根駅のすぐ傍らに位置する悪所、いわゆる「裏町」の景色があった。

「見ものだったわ。あんな形で契約する主従もあるのね」

『彼女らは特殊です。普通、魘のパーソナリティは、夢巫子(ゆめみこ)と接することではじめて芽生えるものですから。すでに個性を抱いた魘が、その自己形成と無関係な人間と改めて契約するなど、普通はあり得ません』

「ふうん、そういうもの?」

『そういうものです』

 直後、白銀の甲冑が光に包まれ、崩れた。板金はすべて蛍めいた光の粒子へと変じ、闇夜に散り、そして空の一点で凝集した。

 そこから現れたのは、軍装風のジャケットに身を包んだ、長身痩躯の男だった。女性的な滑らかさの長髪をなびかせて、彼は舞うように地に降り立った。

「さて、そろそろ撤収しましょう、我が主よ」

「オーケー。一番の目的は果たせなかったケド、今日は興味深いものがたくさん見れたわ」

 答える声は、凛とした少女の声だ。先程まで巨大なプレートメイルを纏っていた彼女は、存外に小柄な、私服姿の少女だった。

 彼女は腰まで届く赤みがかった髪を払って、踵を返した。

「禮泉崇史......、か。何やら面白いコトになりそうね」


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