02/闇夜の語らい

《七月十二日・水曜日・大安》


   果たし状

 禮泉崇史どの、ならびにその契約者たる魘よ。明夜二十二時、巻根第一高校屋上に来られたし。人ならざる力の愉しみを、ともに玩味しよう。

乾闥婆

          ****

「夜叉姫、今後の方針についてふたつほど確認したいことがある」

「ふむ、何かな?」

「ひとつめは、これから僕がどのような戦いに巻き込まれるにしろ、最優先目標はあの殺人鬼にしようということだ。これ以上、不当な犠牲者を増やすわけにはいかない」

「至当だな。私の不始末をこれ以上拡げるわけにはいかん。異存ない。もうひとつは?」

「もうひとつは、これからの戦い、僕たちは......」

 闇夜の街路、歩を進めていた崇史は、ぴたりと立ち止まった。

「僕たちは、不殺を旨としようということだ」

 隣に付き添っていた少女の気配も、同時にぴたりと足を止めた。

「主どの、この前何を聞いていた? 私には魘を鏖殺する使命があると言ったではないか」

「君の使命はもちろん尊重しよう。だが、僕は考えたんだ。それなら魘だけを攻撃すればいいのであって、人間はやはり関係ないじゃないかと」

「主どの......それも先般申し上げたはずだ。魘と契約した人間――夢巫子は、魂のレベルで魘と結びつく。その結びつきは強固だ。魘を殺すということは、契約者の魂を殺すということに直結し得る。彼らがその契約を解消しない限り......」

 言いかけた夜叉姫に、崇史は言葉をかぶせた。

「だから、それを説得しよう」

「は? 説得?」

「うん。彼らに、特に人の側に、魘との契約を断ち切るように説得しよう」

「............無理だと思うぞ」

「せめてそう働きかけるくらいはいいだろう? 当然だが、僕は進んで人殺しになどなりたくない。最悪の場合、半殺しにして脅しつけ、魘を手放させてやる」

 それでも反応の鈍い夜叉姫に言い聞かせた。

「はじめからすべて容易にいくなどとは思っていない。とりあえずここでは『いきなり背後からバッサリ、斬り捨て御免』というような戦闘方針は取らない、ということを同意してくれればいい。基本的に対話から入ろうということだ」

「ふむ、まあ、それくらいならばいいだろう。だがいざとなれば、わかっているな?」

「............ああ」

 その言葉の重みを噛み締めつつ、崇史は頷いた。

「そういうわけで、行こうか」

「うむ、心せよ崇史」

 その場で彼らが仰ぎ見たのは、夜の学校だった。

 巻根第一高等学校。禮泉崇史の母校は、夜中も近くなって、日中に見るそれとはまるで違う不気味な影を落としていた。

 四階建ての本校舎の屋上を見やった。屋上は落下防止のため高いフェンスに囲われているが、普段はそもそも立入禁止であり、屋上への扉にも鍵がかかっている。

「誰かいるか?」

「いや、ここからでは見えぬし、分からぬ。いるにしても、気配を希薄化させているだろう」

 崇史らがこの時間に、この場を訪れたのはいうまでもない。昨日受け取った「果たし状」の誘いによるものだ。「乾闥婆(けんだつば)」と名乗る何者かから受け取った招待に、二人は応ずることにした。すでに顔が割れている以上、引っ込んでいても仕方がないからだ。

「どこから這入ろうか? 警備員がいるかもしれないぞ......」

「着甲せよ。そうして魘と一体になれば、魘の能力で他人の目につくことはなくなるし、屋上までひとっ跳びぞ」

「着甲......あの鎧か。いったいどうやるんだ......?」

 殺人鬼に襲われ、夜叉姫と出逢った夜、崇史は夜叉姫を「鎧として」身にまとい、戦った。やれと言われても、やり方などわからない。

「誓約(うけい)を思い出せ。さすれば体感覚でどうとでもなる」

「............誓約」

 その言葉を聞いた途端、頭の奥底で、火花のようなものがパチパチと弾けるのがわかった。それと同時に、ある文言が喉元にせり上がってきた。

『我、悪徳世を覆うを許さず、道理道義の防人たるを欲す』

 本能の命ずるまま、崇史は唱えた。

『大敵眼中にあり。焉んぞ其の初志を遂げざらんや』

 頭の中で雷光がほとばしった。雷光は炎を生み、炎はマグマとなって崇史の血中をかけめぐった。

『――着甲、魘鎧〈夜叉〉!』

 その一言と同時、夜叉姫の体が光の粒子となって砕けた。光は崇史の周囲に渦を巻き、凝集し、直後闇色の甲冑姿へと変じた。白地の直垂の上に小具足を着け、夜叉姫の〈魄喰刀〉を背負った。最後にぽたりと垂れた光点が般若の仮面を形作り、崇史は〈魘鎧〉として夜叉姫と一体になった。

「相変わらず夢のようだ」

『そろそろ慣れよ。ほれ、もう指定の時間になる。急ぐぞ主どの』

 応と頷き、崇史は校舎の囲壁を飛び越えた。ここは校舎の裏手にあたり、直近には運動部の部室棟がある。本校舎はその先だ。

「翼で飛んでいけないのか?」

『今の我らでは無理だ。もっと力を蓄えれば別だが......。ともかく、翼など使わずとも、ベランダを足掛かりにジャンプしていけば容易に辿り着く』

「そうか、ならそうしよう」

 彼女の言い分から察するに、いつかは空を飛べる日もくるということか......などと夢想しつつ、崇史は校舎の表にまわりこんだ。夜の校舎が、眼前に高々とそびえていた。

「じゃあ......いくぞ............」

『応、恐れず思い切り跳べ!』

 膝をたわめて、はるか頭上の屋上を睨んだ。腰から下に莫大なエネルギーが集っていくのを感じた。エネルギーは熱となって血中を駆け巡る。

「とッ!!」

 掛け声とともに地を蹴ると、全身がぐんっと持ち上げられた。

「すごいな、これは!」

 思わず瞳を輝かせて叫んでしまっていた。風を切り、宙へ浮き上がる体は羽のように軽かった。

『喜んでいないで、着地点に注意せよ! 母校のガラスに突っ込みたくはなかろう!』

「む、それもそうだ」

 校舎三階のベランダがぐんぐん迫ってくる。どうやら真上に十メートル程度跳躍したらしい。まさに夢のようだが、いつまでも驚いてばかりはいられない。

 崇史はベランダの手すりにふわりと足を着け、そこを足掛かりにさらに飛び上がった。崇史の目の前に、屋上のフェンスが迫った。彼は網目を右手で掴み、己の体を引き上げた。まさに一瞬のうちに、白黒の鎧姿の青年はフェンスを飛び越えて、屋上に到達してしまった。

 即座に周囲へ警戒の視線を巡らせた。暗闇に沈む屋上は、今のところ無人のようだ。

「招待に応じて来たぞ、乾闥婆とやら!」

 声を張り上げて呼びかけるも、返ってくるのは静寂ばかりだ。夜の校舎の屋上には誰の姿もなく、そっけない沈黙のみを住まわせていた。

「誰もいないな」

『いや......待て............』

 制止の声がかかった。彼女の声は引き絞った弓弦のように緊張していた。

『気配がある......』

 崇史は慌ててさらに周囲を見渡したが、彼には何も見えぬし、感じなかった。

 けれど夜叉姫の鋭敏な感覚は、やがて闇に潜むものの所在を探り当てた。

『給水タンクの上ぞ』

 彼女の指摘を受けて、即座に視線を上へと転じた。円筒形の給水タンクが塔屋の上に乗っている。夜叉姫によればそこに何者かが潜んでいるらしい。けれど崇史には夜空以外の何ものも見いだせない。

『本当にいるのか?』

 声を出さずに頭の中で問いかけると、夜叉姫は確信をもって肯んじた。

『隠れても無駄だと言ってやれ。すぐに出てくる』

 訝りながらも、彼女の提案に乗っておくことにした。

「隠れても無駄だ。居場所はとうに割れている」

 タンクの上に視線を向けて、力強く言い放った。すると......

「なんだ、あっさりバレちゃったじゃない」

 女性の声がした。直後、タンクの上の夜景が、水のさざめきのようにゆらゆらと揺れはじめた。アスファルトの上の蜃気楼を思わせる光景だ。

 やがて揺らぐ夜景の向こうから、月光を背に、大きな人型のシルエットが現れてきた。

「こんばんは、禮泉くん。招待に応じてくれて感謝するわ。私が乾闥婆よ」

 巨大な背丈だった。白銀の板金で覆われたフルプレートアーマーを鎧っている。兜に取り付けられた、水牛のような巨大な角の装飾が印象的だ。どこからどう見ても男性(とりわけ大柄な)の姿形にしか見えないが、発せられる声は少女のそれである。その違和感に面食らいながらも、崇史は問いかけた。

「乾闥婆とやら、君も夢巫子――魘との契約者で間違いないな?」

 少女(?)はからからと笑った。

「そんなの一目瞭然じゃない? こんなどでかい鎧を趣味で着まわす女子がいてたまるもんですか」

「............」

 やはり彼女は、外見に似合わず女性であるらしい。

『今話しているあの子は、主と魘のどちらだと思う?』

 頭の中で夜叉姫に問いかけた。

『言いぶりから察するに、主のほうであろう。乾闥婆というのが魘の名前だな。偽名に魘の名を名乗っているのだ』

 頷き、崇史は言葉を選びながら語りかけた。

「君の招きを受けてここに来た。それにしても『果たし状』とは穏やかじゃないな」

 乾闥婆と名乗る少女は笑いを含ませて、「こういう誘いは断れないタイプでしょ?」と一言。

 その言いぶりは、崇史という個人を知っている人間でなければ出てくるはずがないものだ。

「君は......僕の知り合いのようだね。もしかして同級生だったりするのかな?」

 おどけた風に問いかけたが、内心は真剣だ。崇史の下駄箱に書状が入っていたことから考えても、可能性はある。

「素直に答える莫迦がいると思う?」

 が、当然ながら返答は一刀両断だ。

 少女の声にはあまり聞き覚えがなかった。少なくとも日頃崇史と付き合いのある人間ではないようだ。向こうが一方的に彼を知っているということか、あるいは付き合いはあっても、さほど崇史の印象に残る相手ではなかったのか。

 崇史は心中に渦巻く警戒感を、なるべく声に乗せないように、穏やかに問いかけた。

「君がどういう目的で僕をここに呼び出したのかは知らないが......気になるな、そもそもどうやって君は、僕が魘と契約したことを知ったのか。当然だが、誰にも話したりなどしていないはずだが?」

「さあて、ね。想像にお任せするわ」

 またもはぐらかす乾闥婆。けれど崇史らには想像がついていた。昨日の朝、あのタイミングで崇史が夢巫子であると気づくなど、どれだけ勘がよかろうと不可能だ。唯一、二人が契約を交わすあの瞬間を目撃した者でなければ。彼女はきっと、二日前、崇史らが殺人鬼に追いつめられるあの現場を見ていたのだ。

 崇史はゆっくりと深呼吸した。

 ここに至るまでの相手の行動を思い起こせば、彼女が本気で崇史を殺しにかかるとは思えない。少なくとも「手段を選ぶ気がある」ということだけは明らかだ。何故なら、夜叉姫が言う「魘の目的」のためにすべてをなげうち、どのような悪事に身を染める覚悟もあるというのなら、あんな手紙など寄こさずに、隠れて崇史を暗殺する機会を待つ方が圧倒的に有利だ。

 それをせず、あえて崇史に接触を図ってきた。自分の有利をあえて手放してきた、ということは......

「今夜は対話をしましょう、禮泉くん」

 彼女の目的は殺し合いなどではないということだ。

 仮面の下で、崇史は安堵の笑みを浮かべた。

「それこそ望むところさ。果たし合いなんかよりずっといい」

 一歩近づいた。その瞬間だった。

『油断するな』

 夜叉姫の警告と同時、甲冑の少女がさっと右手のひらを突き出してきた。崇史は咄嗟にぴたりと足を止めた。しばし沈黙。

 やがてゆっくりと、自称乾闥婆は広げた五本の指のうち、三本を折った。

「聞きたいことがふたつあるわ」

 対話をしようと持ちかけたわりに、いやに淡白な調子で告げられた。

「............何かな?」

「あんたも、あの女から招待状を受け取った?」

 言葉足らずな質問であったが、何を問うているかは明らかだ。

「ああ......アマランサスとやらがよこしてきた、あの招待状のことだな」

〈魘蠱遊戯〉なるものに誘う招待状だ。昨晩殺人現場で受け取った。

「そう訊くからには、君も受け取ったんだな」

 乾闥婆は素直に肯定した。

「そういうことよ。あんた、あの招待状に書いてあることの意味、分かる? 〈魘蠱遊戯〉とか、神樹の墓所とか......」

 察するに、崇史と彼女とが受け取った手紙は、文面まで同様であったらしい。

「僕には想像もつかないことだ。悪いが、役に立てそうもない」

 すると乾闥婆は顎をしゃくって「そっちの魘はどうなの?」と問いの矛先を変えてきた。

「あんたの魘は、私たちなんかよりよっぽど多くのことを知ってるんじゃない?」

 夜叉姫は答えない。押し黙ったままだ。

『どうなんだ? これまで話した以上のことを知っているのか?』

 口には出さず、頭の中で問いかけた。

 夜叉姫はしばし黙考したのち、

『主どの。発言の許可をいただけるか? あ奴らにも聞こえるようにだ』と求めてきた。

『君の判断に任せる』

 否む理由はなかった。すると崇史の纏う鎧から少女の声が飛び出した。

「私が知ることなぞ、貴様の魘が知るところと、そう大きな差はないであろうよ」

「あら、綺麗な声」

 感心するように、乾闥婆が唸った。

「あんた、名前は?」

「夜叉姫と申す」

「............姫?」

 乾闥婆は小首を傾げた。何故そこで不思議そうにするのか崇史にはわからない。

 鎧の少女は、そのことについて掘り下げて聞くようなことはしなかった。

「私の魘も紹介するわ。すでに察していると思うけど、こいつの名前が乾闥婆よ」

 すると彼女の鎧から、それまでと違う、低い男の声がした。

「お初にお目にかかります、夢巫子どの。そしてお久しゅう、姉君」

「......姉君?」

 相手の魘が誰を指してそう言っているのか、一瞬わからず当惑してしまった。すると乾闥婆が補足して言った。

「貴方の魘は、我々八人のなかでもっとも早く、父なる〈夢想天〉から分離、独立した存在なのですよ」

「〈夢想天〉というのが、前に言った、我ら魘の大本たる存在だ」

 乾闥婆の言に、夜叉姫が注釈を加えた。

「そもそも姉君という存在が分かたれることさえなければ、我ら八人は今でも、神なる一個の超越者として、安泰であったやも知れませんのに。我らの世界のほころびは、姉君からはじまったのですよ?」

「それこそ私に言われても困る。だが安心しろ。長姉として責任は取ってやる故」

 乾闥婆は嘲るように言った。

「その禍々しい『刀』でですかな?」

「......想像に任せよう」

 崇史ら契約者を置き去りにして、すでにふたりの魘は筆舌に尽くせぬ敵意を迸らせていた。両者の間には不穏な黒雲の気配が立ち込めていた。

 するとその時、対面の少女がわざとらしく咳払いをした。

「勝手に盛り上がるのは結構だけど、まずは質問に答えてくれるかしら?」

「僕としても気になるところだ。夜叉姫だけでなく、そっちの魘にも問いたい。〈魘蠱遊戯〉とは何だと思う?」 

 崇史も少女に同調して問うた。

 しばしの沈黙ののち、まずは乾闥婆が口火を切った。

「おそらくは、字面で解釈した通りのシロモノでしょうな。『魘』は我々オニを指す。そして『蠱』は『蠱毒』の『蠱』だ」

「コドク......というのは、あの『蠱毒』か。毒虫同士を殺し合わせて、最後に生き残ったものを呪術の材料として使うとかいう、あの......」

「うむ。それ以外の意味には取れんな」

 夜叉姫も同意した。

 途端、乾闥婆の夢巫子が声を上げて笑った。

「あっはは! やっぱり、名前の通りの意味なのね。これほどわかりやすいことはないわ。魘同士で殺し合えってことじゃない」

 笑ってはいるものの、潤いのない声だった。乾いていた。

 ふたりの魘は答えなかった。沈黙が同意を示していた。

「これで確信が持てたわ。〈魘蠱遊戯〉は殺し合い。あの招待状は、殺し合いに私たちを誘うためのものだったわけね」

「ゲームというのは、おそらく我々の闘争を管理下に置くための方便なのでしょうな。ほら、私どもは、黙っていてもやり合います故。オリエンテーションなどというからには、ルールも設けるのかもしれませぬ」

「なるほど、それこそ戦争と同じね。黙っていても勝手に始まるもんだから、最低限の規則を定めると。そしてそれが『ゲーム』という体裁なのね」

 少女はすでに笑ってはいなかった。崇史は一度も笑わなかった。

 彼は少女を見上げた。白銀のヘルムに包まれた顔からは、当然表情が読み取れるはずもない。ただ、低く抑えられた彼女の声音は、決してこれらの事態を歓迎しているわけではなさそうだった。

 崇史の腹からむずむずとしたものが、喉に向かってせり上がってきた。どうしても訊ねたいことが出来てしまった。そしてそれを我慢することは出来なかった。

 だから、率直に問うた。

「君は、乗る気なのか?」

 言葉足らずの質問は一度では意味が通じなかった。乾闥婆がきょとんとしてこちらを見た。だから重ねて、より丁寧に訊いた。

「君は、あの仮面の少女が引いた殺し合いのレールに、乗る気なのか?」

 深い沈黙が口を開けて待っていた。返答はすぐには帰らなかった。夜のとばりがしんしんと静寂を響かせてうるさかった。

 乾闥婆は両手の拳を、一度握って、開いた。かすかに金属のこすれる音がした。

 少女が答えた。

「私は、やるわ」

 一直線に貫くような明言に、崇史は頭の血がすべて指先に流れ落ちるような気がした。

「何故?」

「だって、勝てば、神の力が手に入るんでしょ? この世のすべてを手に入れられるような力が」

「そんなものを手にしてどうするつもりだ? 神の力だか何だか知らないが、それは他人を追い落としてまで手にしたいものなのか!?」

「ええ」

「そうまでして何をする!? 何を欲する!?」

 食い下がる崇史の声は上擦り、怒鳴り声にしても迫力に欠けていた。

 目の前の少女は、崇史との対話の場に登ってくれた。そんな彼女が、己と違う価値観を披歴しようとするのが、怖かったのかもしれない。

 彼女の答えは、崇史の意に沿うようなものであるはずがなく、かといって真面目な返答とも思えなかった。

「さあ、億万長者になるとか、そんな感じでいいんじゃない?」

 崇史はしばらく二の句を告げず、沈黙を余儀なくされた。彼の内心にもやもやとした影が渦巻いて、それが喉を塞いでいた。

『主どの......』

 心配そうな夜叉姫の声もほとんど耳に入らなかった。崇史はようやく、吐き出すように言った。

「聞きたいことがふたつあると言ったな。もうひとつはなんだ?」

 話題を転換してクールダウンを図ったのだ。鎧の少女も、先程までの会話を引きずることはしなかった。

「もうひとつは、そうそう、あんたはあのアマランサスとかいう女とどういう関係なの? 親しそうに会話してたじゃない」

「やっぱり、あの場を見ていたんだな」

 少女は是とも否とも答えなかったが、言わずとも明らかであった。

「関係もなにもないよ。向こうから勝手に接触を図ってきたんだ」

 彼女と接触した経緯を簡潔に説明した。

「......と、こういうわけだ。本人は僕の妹と知り合いだ、などと言ったけれど、あとで妹に確認したら『そんな人知らない』だそうだ」

 昨日のうちに妹を問いただしたところ「未散」などという存在は欠片も知らないとのことだった。

「まったく謎の人物だよ」

 率直な評価で回答を締めた。対して少女は何やら考え込んでいるふうであった。

「面白いわね。アマランサスは禮泉くんが一般人だった頃から、接触を図っていたんだ......。『未散』という名前で......」

「本名とは思えないが、確かにそう名乗っていたよ」

 すると「本当に個人的な付き合いはないのよね。心あたりも?」などと食い下がってきた。

「まったくない」

 だが何度問われても、崇史は首を横に振るよりほかない。本当にないのだから。

「そっか......」

 乾闥婆はしばし沈思したのち、顔を上げて言った。

「ありがと。もういいわ」

「は? もういいって、何が?」

「あたしの用はもう終わりっていうこと」

 いっそ心地よいくらいにさっぱりと、彼女はすでに崇史への興味を失ったと見えた。

 けれど崇史の方はといえば、そんなに突然、急ブレーキをかけたようにはいかない。胸のうちにはもやもやとした、興味とも不満ともつかない痒みがわだかまっている。

「明日」

 気づくと、彼は口を開いていた。

「明日、君も来るのか。〈魘蠱遊戯〉とやらに」

 少女は再び顔を上げ、あっけらかんと言った。

「行かなきゃ何もわからないしね。その時はどうなるか分からないけど、フェアにやりましょう?」

 フェアに......と、その誘いが何を指すのか、言わずとも明らかであった。

――殺し合い。

『帰るぞ、夜叉姫』

『えっ、あ......ああ』

 夜叉姫は何とも居心地が悪そうにしていた。あれだけ「争う宿命だ」と言い切っておいて、その大敵を前に一刀も交えず行き違うことになったのだから、当然か。ただ、今日この場で刃を合わせることには、どうあってもなりそうになかった。

 崇史は白銀の魘に背を向けた。

 するとその背に、思い出したように声がかかった。

「そうだ禮泉くん、私も試しに聞いてみていいかしら」

 振り返ると、ヘルムに開いたスリットから、視線が崇史を射抜いていた。

「あんたは殺し合いに乗るの?」

 崇史は改めて向き直った。己の心に問いかけた。

 自分は夜叉姫に救われた身。彼女の使命に付き合う義務がある。使命とは、魘の掃滅。神の権能とやらを、封ずること。その最終目的には崇史も同調している。けれどそのためには、殺し合いという既成のレールに乗らねばならない。

 殺し合いというレールに......乗る。

 崇史はその言葉を、自らの胸の底に落とし込んだ。心の臓腑に落ちてきたその言葉は、血潮の溜りに沈んだ途端、周囲の肉をざわめかせた。電流がシナプスの上を乱れ飛び、火花を散らして煙を上げた。煙はもうもうと崇史の喉を焦げ付かせ、脳を灼き、きりきりと頭骨を軋ませた。

――何という理不尽な響きだろうか!

 それは反射的な拒否反応であった。崇史は答えた。

「嫌だね」

 少女は仮面の下で冷笑を浮かべた。

「へえ、じゃあどうするの? 引きこもりでもする?」

 対して崇史の返答は、返す刀で切り付けるように、敵意に溢れたものだった。

「ぶっ壊す」

「......え?」

 崇史は給水タンクの銀影を見上げ、睨みつけ、拳を握り、言い放った。

「このゲームとやらを、ぶっ壊す」

 その返答に接し、少女は困惑した。

「それって、具体的にどうするつもり?」

「さあね。想像もつかない」

 崇史は苦笑した。ただし、般若面の下の瞳だけは、紅蓮の炎を宿したまま、一度もまなじりを下げなかった。

「さしあたっては、ゲームの参加者がいなければいいんだ。戦える人間がいなければ、ゲームは成立しない。幸いこっちには、神の力を封印する能力があるみたいだし......」

「ようするに、何が言いたいのよ」

 ここではじめて、乾闥婆が声音に苛立ちを乗せた。

 けれど崇史は臆さなかった。臆さぬどころか、かけるべき言葉を吟味することすらしなかった。

 思ったことが、そのまま舌の上に乗っていた。

「君、その魘を手放せ。この戦いから降りろ」

 彼は一方的に言い放った。

 崇史以外の全員が硬直した。しばし、誰も一言も言葉を発しなかった。

 数秒の沈黙ののち、少女は、信じがたいものを聞いたという風な驚きと、静かな怒りを湛えて言った。

「えっと、今、なんて?」

「棄権しろ。その魘を、僕に渡せ。悪いようにはしない。神の権能など、僕らが責任をもって処理してやる」

 再び沈黙があった。その沈黙は、かつてないほどに重苦しく、鉛のように肩にのしかかってきた。

『主どの............』

 崇史の頭の中で、そろそろと、押し殺したような声で夜叉姫が語り掛けてきた。彼女ははじめは感情を押し隠すように切り出したが、結局すぐに、大きな怒鳴り声に変わってしまった。

『言い方を、考えてくれ!!!』

『え、僕は何か変なことを言ったか?』

 心当たりなど皆無で、きょとんとする崇史。

 しかして彼の言葉を向けられた張本人が、気分を害していることは明々白々であった。

「何それ」

 細かな震えを声に潜ませて、彼女は言った。

「ムカつくわ、あんた」

 白銀のヘルムに覆われた彼女の表情は窺えない。視界を確保するためのスリットの向こうは、底なしの闇だ。

 ただ、彼女が身にまとう雰囲気が、これまでと変わったことだけははっきりと感ぜられた。よりいっそう冷たく、堅い大きな壁がそそり立っているようになっていた。

「気が変わった。このまま帰してやる気だったケド......」

 彼女は虚空に手を伸ばした。

「ちょっとだけムカついたから、景気づけにぶちのめしてやる」



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