05/第一戦:蟲どもは血で血を洗う

《七月十三日・木曜日・赤口


「これより予定通り、〈魘蠱遊戯〉のオリエンテーションをはじめます」

 現れたのは、月曜日、崇史を地獄へといざなったあの少女だ。

「申し遅れました、わたくしはこの遊戯のゲームマスターを務めます、アマランサスと申します。以後お見知りおきを」

 少女は大仰な仕草で一礼してみせた。

「未散......」

 吐息ほどにかすかな声で、彼女の名を口にした。声といい、仕草といい、病院前のバス停で出会った少女に間違いなかった。

『......どうして魘鎧もなしに、この異界で生きていられるのだ』

 納得いかないというふうに、夜叉姫が不満げな独言を洩らした。改めて見ると、確かに未散がかぶっているのは一枚のマスクだけだ。

『彼女が何者か、想像はつくか?』

 声に出さず夜叉姫に訊ねた。彼女の返答ははかばかしくなかった。

『ただの人間でないことは間違いない。十中八九何らかの魘の関係者だろう。だが、それ以上は......』

 夜叉姫にとっても、あのアマランサスという少女は謎多き存在だった。はじめてふたりが邂逅したのは、今から一か月ほど前のことになる。その時も、アマランサスの登場は突然だった。彼女は当初から一貫して、夜叉姫に「契約者を見つけろ」と迫っていた。目的は杳として知れない。

 さて、アマランサスは自らに集まる視線の熱を全身で浴び、恍惚としていた。

「皆さんの多くは、今日ここで、これから行われることについて、ある程度の想像を働かせていらっしゃるでしょう」

 彼女の舌ははやくも熱を帯び、口は油を差したようによく回った。

「ですがそれについて解説する前に、迂遠なようですが、まず皆さんにはこの不思議な世界ついて、いくつか知っておいて欲しいことがあるのです」

 崇史は知らず知らず、彼女の弁に好奇心をそそられていた。

「この世界は、見てわかる通り、我々人間の住まう世界とは異なります。ただし完全な異世界なのではありません。この異界は、我々の現実世界の上に『乗っかって』いるんです。ただ位相が異なるだけなんです」

 街並みが現実の巻根市そっくりそのままなのは、それが理由だと彼女は言った。

「この世界を構成しているものが何なのか、この世界はいったいどういうものなのか、などについては諸説あります。たとえば極度に接近した並行世界説とか、地球の未来説とか、宇宙にあるもうひとつの地球説とか、集合無意識による幻影説とか......私個人としては最後の説を推しますが......今はどうでもいいですね」

 彼女はやれやれと首を振ってから、続いてこれまでより大きく声を張り上げた。

「突然ですが、この世界について、皆さんに覚えていて欲しいことが五つあります」

 言って、指を広げた。

「ひとつ。ここには私が呼んだ八人全員の姿がありますが、実は、皆さんの体は本当はここにはないんです。どういうことかといいますと......簡潔に申せば、皆さんは今、魂だけがこの場に来ているんです。幽体離脱です」

 アマランサスはおどけて幽霊のポーズをしてみせた。

『何を言ってるんだ、あいつは?』

 着込んだ鎧の下には、確かに肉体の感覚がある。諸人の困惑を察してか、夜叉姫はさらに解説を加えた。

「なーんていわれても、今はピンとこないでしょう。皆さんにはまだ、肉体の感覚があるはずです。ですが残念! 実はそれ、幻覚みたいなものです。だってあなたがたの本当の体は、まだ現実世界に取り残されていますから。

 いわば夢を視ているようなものですよ。意識だけがここにきて、まるで自分自身がこの場に立っているような『錯覚』をしているんです。疑わしければ、試しに今ここで自分の小指を折ってごらんなさい。ここから帰ったあと、あなたの小指は何事もなかったようになってるはずです。まあ、しばし痛みの錯覚には悩まされるでしょうが」

 当然だが、アマランサスの提案を真に受けて、実行する者はいなかった。

『事実か? 夜叉姫』

 問いかけると、相棒は即座に『うむ』と肯定した。

『貴公の魂のみが肉体から遊離し、この〈異界〉に迷い込んだ。それを私が魘鎧の力で保護し、肉体と繋ぎとめている。これが我々の現状である』

 彼女の答えを受け、咄嗟に崇史は自分の胸に手を当てた。心臓の鼓動が響いている。これが幻とは到底信じられないが......。

「ふたつめは、これに関連する話です」

 アマランサスはまず親指を折って、話を続けた。

「この〈異界〉は本来、皆さんの魂にとって有害です。肉体という『殻』を失った人間の魂は、この〈異界〉では一分も経たずに、跡形もなく溶けて無くなってしまうでしょう。それは当然、あなたという人間の『死』に直結します。

 しかし現在、あなたがたの魂はこうして無事だ。それはひとえに、あなたがたの相棒の魘が、鎧となってその魂を守ってあげているからです。みなさん、相棒にはきちんと感謝しましょうね」

 言って、彼女は二本目の指を折った。

「三つめ。私は先ほど、この異界は現実とは位相が異なるといいました。それに関連してお知らせしなければならないことがあります。

 実はこの世界は、現実世界と『時間の速さ』がズレています。正確には、この世界にいる皆さんは、思考速度が加速しているわけです。ほら、さっき、皆さんは魂――意識だけがここにいるんだという話をしたでしょう? その意識が現実より加速しているわけですから、時間の進みも違って感じるというわけです。

 実際どれだけ早いのかって? いいでしょう、お答えします。この異界の時間は、現実の十倍の速さで進みます。つまり、ここでの一時間は現実での六分間に相当し、十時間は一時間に相当します」

 言って、三本目の指を折った。

 アマランサスはここでしばし沈黙し、周囲を見渡した。全員が彼女の話に耳を傾けているかどうか、窺っていたのだ。心配するまでもなく、この場に集った八人は例外なく、アマランサスの説明に意識を引き寄せられていた。

 彼女は満足して、話を続けた。

「四つめ。ここからが重要ですから、耳の穴かっぽじってよく聞いてくださいね。

 この異界はそうそう何度も皆さんを呼べるものではありません。皆さんは本来、ここにいてはいけない存在なんです。せいぜい六日に一度、〈異界〉の時間で言うと、十時間程度しか、皆さんをここに留めていられないでしょう。ただし、逆に言えばその十時間は、皆さんを何が何でも逃がしませんが」

 その言葉の直後、崇史の中で、夜叉姫が悲鳴に近い声を上げた。

『十時間!? そんなに長く!?』

 まるでその反応を聞いていたかのように、アマランサスの語り口に、愉悦の笑いが宿った。

「ふふ、魘の皆さんは焦っているんじゃないですか? そうでしょうね、この世界で十時間も主の魂を守れる魘なんて、いるわけないですもんね。せいぜい八時間が限度ですか?」

 鳥仮面の下から黒々とした笑い声が洩れていた。

「さっきも言った通り、人間の魂にとって、この〈異界〉は有害です。魘鎧がなければ、一分も待たずに溶けて死んでしまうでしょう。でもこれは『魘鎧があれば絶対安全』というわけではないんですよ。〈異界〉の気(ケ)は時とともに魘鎧を蚕食し、中の魂を侵そうと迫るでしょう。魘があなたがたの魂を無事に守りきれるのは、多く見積もっても八時間が限界です。わかりますか? つまり皆さんは、八時間以内にこの〈夢境異界〉から脱出しなければ、命がないんです!」

 死の宣告を、これだけ嬉々として語る人間がいるだろうか! 周囲がにわかにざわめいた。皆揃って、自身の相棒に事の真贋を問いただしているのだろう。

 夜叉姫はただ『彼女の言うとおりだ』と、問いかけるより先に口にした。

――命がない......死ぬ......。

 そのことに思いを巡らした途端、心臓が強く締め付けられているような気がして、呼吸を荒げてしまった。はっとして深呼吸し、心拍数を平常に戻す。

 場の混乱を見やってか、アマランサスはますます増長した。

「さてさて皆さん、最後、五つ目の話をします。二度は言いませんから、よく聞いてくださいよ?」

 彼女はついに最後の指を折った。

「最後に話すのは、この〈夢境異界〉からの脱出方法についてです。この世界は、六日に一度、異界の力が最も強まる『赤口』の夜、皆さんをここに引きずり込みます。しかしその一時間は、脱出する方法はひとつしかありません。それは......〈異界〉を満足させることです。

 この〈異界〉には、意思があります。『人間の魂を食べたい』という意思です。お腹を空かせているんですよ。少なくとも一度〈夢境異界〉を開いたなら、ひとりぶんの魂を喰らわなくては、満足しないでしょう」

 ここでアマランサスの喜悦が最高潮に達した。彼女は甲高い声で言った。

「逆に言えば、ひとりぶんでいいんです。ひとりの人間の魂をこの〈異界〉に喰わせれば、それだけで〈異界〉は満足し、皆さんを解放します。............私が言いたいこと、分かりますか?」

 混乱を隠せぬ崇史の頭でも、おおよそ察しがつき始めていた。

 情報を整理しよう。

 この世界は六日に一度、「赤口」の夜の一時間、崇史ら夢巫子を捕らえる。けれどこの世界では、人間は一時間(異界の時間では十時間)も生存できない。脱出するためには、人間ひとりぶんの「魂」を〈異界〉に喰わせる必要がある。

「魂を捧げる方法は簡単です。魘鎧をひっぺがせばいいんです。それだけで、魂は〈夢境異界〉に溶けてしまいますから」

 崇史は意図せぬうち、強く歯ぎしりしていた。

 アマランサスが欲するもの......崇史らがそうせざるを得ないもの......それらが指し示すことはひとつだ。

――これは理不尽の極致だ!!

 少女はここで、強く手を叩いた。

「さあさあ皆さん、ここまで言えば、これから何をすればいいかは分かりますよね」

 彼女は両手を広げ、嬉しそうに、新しい玩具を与えられた子供のように、宣言した。

「皆さん、ここで殺し合ってください、生き残るために。――それが〈魘蠱遊戯〉です」

 しばらくの間、誰も口を聞かなかった。静寂は澱み、この場にいる全員の肩の上に重くのしかかった。

 夜叉姫さえ黙りこくっていた。その沈黙が事態の深刻さを物語っていた。

 だが、ここでようやく声が上がった。ほとんど呟きに近い小さな声だったが、静寂のなかではよく響いた。声を発したのは、意外にもあの殺人鬼だった。

「冗談だろ? なあ」

 上擦った声で彼は言った。声には空虚な期待感が込められていた。しかし誰も言葉を返さなかった。アマランサスは黙って首を横に振った、

「......はっ、ははっ.........」

 乾いた笑い声を上げて、再び殺人鬼は沈黙してしまった。

 だが沈黙のとばりは破れた。続けて声を上げたのは、白銀の鎧をまとう少女――乾闥婆だった。

「誰かひとりを犠牲にする......それ以外にこの場所から脱出する方法はないわけ?」

 質問をかけられたアマランサスは嬉しそうに「試してみますか? 時間的猶予はまだまだあります。まあ、失敗すれば全員もれなく〈異界〉の餌食ですが」と言った。はなから方法はひとつしかないのだと確信している口ぶりだった。

「勿論、殺し合いなんてしなくても、話し合いで生贄を選べるんでしたら、それでもいいんですけどね」

 まったく他人事といった調子だった。

「〈魘蠱遊戯〉とやらは、いつまで続くのです?」

 続いて口を開いたのは、廃ビルに寄りかかって立っていたふたりの魘のうちの片方だった。ずんぐりと丸みを帯びた体形の鎧姿だ。だがそんな外見に似合わず、声は爽やかな少年のものだった。

 アマランサスは「よくぞ聞いてくれました」と手を叩いた。

「最後の一組になるまでです」

 彼女がその言葉を発するのに、どうしてそこまで嬉しそうになれるのか、崇史にはとんと分からなかった。

 アマランサスは「そうそう」と言葉を続けた。

「生き残った勝者には、神の如き権能が与えられるそうですよ。それはあなた方の相方である魘たちが、よくわかっているでしょう」

 彼女の言葉のあと、しばらくは誰も口を開かなかった。みな己の内面......もうひとりのパーソナリティに疑問を投げていたのだろう。崇史も同様だった。

『前に語ったお前たちの「親」......〈夢想天〉のことだな?』

『うむ、魘は倒した魘の力を吸収する。ここにいる全員を打ち倒し、その力を喰らえば、〈夢想天〉は間違いなく現出するであろう』

『なるほど。それがこの戦いの景品というわけか』

 崇史は鼻を鳴らした。

「神の......権能。そんなものを得てどうなるというんだ?」

 此度は崇史が口を開いた。鳥の仮面がくるりとこちらを向いた。

「いろいろあるでしょう。何せ絶大な力です。この世のすべてをほしいままにできるでしょうね。たとえばここにいる人が、今現実の世界で何らかの問題を抱えているとしても、そんなものは取るに足らないものにしてしまえるでしょう」

 彼女は口元を押さえて、肩を揺らした。

「あたし知ってるんですよ。ここにいる皆さんは、揃って現実で苦労されている。ここで勝ち残れば、まあ当然、抱えている重荷は見事清算できるでしょうね」

 再び沈黙が場を支配した。閉ざした口が、鉛のように重たかった。

 殺し合え、さもなくば死ぬ。

 理不尽の極致だ。あまりにも......どうしようもなさすぎる。

 崇史の中には反抗心だけが澱んでいった。この状況そのものが気に食わない。そんな状況に反旗を翻すことさえできない自分の無力が、何よりも度し難い。

――沈黙は敗北主義だ。

――わかっている。けれど、この状況をどうすればいい!?

 ここに詠子がいれば、どう行動するだろうか。夢想するも、詮無きことであった。

 すると再び口を開いたのは、あの白銀の乾闥婆だった。

「この〈遊戯〉を仕組んだのは、あんたなのかしら? アマランサス」

 強い調子で詰問したが、アマランサスはどこ吹く風で、肩をすくめてみせた。

「やだなぁ。あたしはただの使いっ走りですよん」

「じゃあ誰が!?」

「さあ、神様の意思なんじゃないですか?」

 乾闥婆は絶句した。

 するとそのうち、アマランサスが腕時計をちらりと見つつ、言った。

「時間はまだありますが、有限です。あたしが用意した舞台に乗るか否か、あなたがたで決めてくださいね」

 そう一方的に言い放って、直後、その姿がかき消えた。

「待て!」

 咄嗟に声を上げた崇史。けれどアマランサスは、実のところ本当にいなくなってしまったわけではなかった。

『主どの、もっと上ぞ。奴は完全に傍観を決め込むつもりらしい』

 いつの間にか、彼女の姿は先程までと別の場所に現れていた。横たわる神樹のうち、もっとも天高く張り出した枝の頂点に、ひょっこりと座っていた。声など届かない距離だ。

 あとには静けさのみが残された。頭上の大樹を見上げた格好のまま、誰ひとり微動だにしない。無意識に、崇史の足がじりじりと後退していた。緊張感が張りつめている。

 アマランサスが去ってからはじめに口を開いたのは、今回も殺人鬼だった。

「オ......オイオイお前ら、本当にやる気じゃないだろうな? 冗談だろ?」

 引きつった笑みを忍ばせた声だ。先ほど口を開いたときもそうだったが、今話している彼は魘ではなく、おそらく夢巫子の方だ。落ち着かない様子であり、とてもこの現状を歓迎しているようではなかった。

 彼のことはいずれ、必ずひっ捕らえ、しかるべき場所に突き出さなければいけない。しかし、それは今この場で拘泥すべき事柄ではないようだ。崇史は彼の言葉に乗っかって、殺し合いなど莫迦げていると説くつもりで口を開きかけた。しかし、彼がその言葉を発することは出来なかった。なぜなら......

「纏武〈断塞巌〉!」

 そんな叫びとともに、周囲に対し猛烈な敵意を叩きつける者の存在があったからだ。

 声の方向に振り向いた。声を発したのは、さきほどアマランサスに対し〈遊戯〉がいつまで続くのか質問した少年の、隣に立っていた者であった。それは女性の声だった。

 その者も魘の契約者として、例に漏れず体を鎧で覆っていた。彼女の鎧は全身に黒い骨の装飾がなされていた。それによって、まるで体の肉がそぎ落とされ、骨格が剥き出しになったかのように見える。ただし、鎧の表面に浮き出た骨格は、人間のものではない。縦に長く伸びた顔は、まるで蛇か竜のようだ。

 彼女は声と同時、右手を頭上に振り上げていた。指先の空間が、ぐにゃり、と歪んだ。そしてその歪みから、巨大な棒状のものが突き出してきた。見覚えのある光景だ。昨晩、学校の屋上で乾闥婆が見せたものと同じである。彼女は空中に現れたものを、右手で砕けんばかりに握りしめ、そして一気に引き出した。

 揺らぐ空間から彼女が喚び出したものは、大木のように巨大な剣だった。岩山をそのまま削り込んで、無理やり剣の形に仕立てたかのように武骨な形だ。刃も荒く、その剣は斬るためのものでなく、問答無用で敵の体を磨り潰すためのものであった。

 彼女は剣を肩の上に担ぎ上げ、周囲の魘たちを順繰りに睨めつけていった。

「私は、このゲームに乗る。はじめから、そのつもりでここに来た」

 噛んで含めるように言い放った。脅すように、大剣を揺らしている。口調は冷淡だ。彼女の隣に立つずんぐりとした魘鎧の少年が、驚いたように彼女を凝視していた。

「私の邪魔をする奴......このゲームに乗っかる意思のない奴は、言って」

 この申し出に対し、崇史は......

「ここにいるぞ」

 自ら名乗り出ざるを得なかった。

『なっ!? 主どの!?』

 夜叉姫は仰天した。対して崇史は何食わぬ顔だ。

『奴の敵意がわからんのか!?』

『わかるが......僕はアマランサスの思惑に乗る気はないのだから、肯定せねば』

 夜叉姫は一瞬、動転して言葉が出なかったようだ。

『き、き、貴公は莫迦か! 適当に誤魔化すということを知らんのか!?』

 大慌ての夜叉姫。対して崇史は、一種の開き直りの状態で、女性を睨み返した。

「......貴方、名前は?」

「夜叉ひ......、ごほん、夜叉だ」

 まさか本名を告げるわけにはいかないから、魘の名で名乗ろうとして、一度口ごもった。男の声で「姫」と名乗るのは嫌で、それを省いて「夜叉」と答えた。

「私は、那伽(ナーガ)」

 相手も同様に魘の名で答えた。

「〈魘蠱遊戯〉が、イヤ?」

 彼女の問いかけは簡潔だったが、そこにはこちらの腹の底を探ろうとする、じっとりとした含みがあった。

「イヤだね。どうしていきなり『殺し合え』などと命ぜられて、その通りにしなくてはならないんだ」

 隠すところもなく、率直に答えた。すると横合いから、別の人物が問いかけてきた。

「ではあなたは、この状況をどうやって解決するおつもりです? 何か腹案があるとか?」

 穏やかな少年の声だった。問いかけたのは、那伽の隣に立っていた、あのずんぐりとした鎧の魘だった。彼のかぶる兜は牛の頭によく似ていた。

「いいや、現状では何もない。だからこそ、これから皆で話し合ったりなどしようと、思っていたのだが............」

 それが許される雰囲気では、すでになかった。

 那伽は周囲に視線を向け、もう一度声を張り上げた。

「他に〈魘蠱遊戯〉を否定する者は?」

 誰も声を上げない。あの殺人鬼は、もはや自分は関係ないとばかりに、ビルの窓枠に腰かけてそっぽを向いていた。すでに知らぬふりである。

『野郎......』

『あ、主どの......、これはその、もしかして、非常にマズイ流れなのでは......?』

 夜叉姫の懸念はもしかしなくてもその通りだった。

 禮泉崇史は、この場において早くも孤立していた。

「決めた」

 唐突に、那伽が宣言した。その言いぶりは、まるでこれが死神による死の宣告であるかのように、威圧的で、一方的なものだった。

「あんたが、最初の生贄」

 そうして手にした想器を勢いよく地面に叩きつけた。衝撃と同時、コンクリが抉れ、砕け、破片が飛び散った。爆音が風の唸りに乗って、崇史の鼓膜に突き刺さった。那伽の敵意はもはや隠しようがなく、剥き出しの刃のようになって、こちらに突き付けられていた。

「分からないな......、どうしてそこまで、最初から他人に敵意を持てるのか」

 皮肉を飛ばしながらも、じりじりと腰を落とした。何が起きても反応できるよう、意識を臨戦状態に切り替えていく。

「私にはやるべきことがあるので」

 彼女はそれだけ言って、大剣を脇にだらりと提げて構えた。その大きさゆえに、切っ先は地面をこすっている。彼女がどう動くのか......それに集中して意識を研ぎ澄ましていると、

「ああ、こうなったらしょうがない。僕も貴方の敵ですね」

 横合いから声がかかった。ぎょっとしてそちらを見やる。ずんぐりとした、牛頭の魘がこちらを見ていた。彼も那伽と同様に右手を天へ掲げ、叫んだ。

「纏武〈貫惑障〉!」

 虚空が揺らぎ、そこから金属の塊が引き出されてくる。彼が掴みだしたそれは、大きな突撃槍(ランス)だった。

「我が名は鳩槃荼(くはんだ)、早速で悪いですが、消えていただきます。夜叉さん」

『に、ニ対一!? 組んでいるのか! 何故!?』

 夜叉姫はすでに混乱の極致であるらしい。崇史といえども、こんな展開まで予想していたわけではない。

『事前に申し合わせていたんだろう。ゲームを確実に生き残れるようにと......!』

 返す言葉には焦燥がありありと滲んだ。

 崇史はすばやく周囲に視線を巡らした。他の魘たちの様子はどうだろうか、と。結果としては、誰も彼もが傍観に徹するつもりのようだった。あの殺人鬼は当然として、昨晩矛を交えた乾闥婆も、黄金の魘も、遠巻きにこちらの様子を見守るのみで、口を出そうとすらしない。

――奴ら、僕の顛末を見て〈魘蠱遊戯〉の実態を見定めるつもりか......。

 どうやら想像より、はるかに自分の現状は悪いらしい。崇史は肚を括った。

 こういう時にどうすればいいかは分かっている。崇史は両手を左右に広げ、叫んだ。

「纏武〈砕凶手〉!」

 頭の中で熱がはじけ、電流となり、それが両手に伝わっていった。熱は虚空を歪め、捻じ曲げ、その内側からあり得ざるものを引きずり出す。歪んだ空から突如として現れた二本の柄を手に取り、勢いよく引き抜いた。

 崇史の手の中に、かんざし型の釵(サイ)が握られていた。

「黙ってやられる気はないぞ」

「上等」

 相対する二人の敵意......とりわけ那伽のそれは、牙を剥きだす猛獣と同じだった。今まさに飛びかかり、相手の喉元を食いちぎろうとしている。

「初戦の敗者は、貴方ね」

「......やれるものなら、やってみろ!」

 その応酬が合図だった。

 那伽の足が力強く踏み出され、爆音が鳴った。コンクリが鳴動し、砕けたつぶてを散らした。大地を揺るがす衝撃とともに、那伽の体が疾走した。

――やはり、迅い!!!

 魘の身体能力は生命の常識を超克していた。石柱じみた大剣を手にしているにもかかわらず、那伽の動きは雷のようだった。一瞬の踏み込み。風が唸り、大地に深々と傷跡を刻みつつ、巨大なる刃が迫る!

『主どの!!』

『応!!!!!』

 昨晩の崇史であれば、為すすべなく蹂躙されたであろう一撃。けれど今は違う。今彼の手元には、武器がある。

 迫りくる刃の軌道は、向かって左下段より崇史の胴を薙ぎ、右上方に抜けていくというもの。極太の剣が彼の上半身と下半身とを分断する直前、彼は跳んだ。左手の釵で大剣をいなしつつ、そこを基点に、刃を跳び越すように左方へ側宙した。ひらり、と彼の体が奇術師のように空を舞った。逆さになった彼の頭のすぐ下を、巨大な剣の一撃が駆け抜けた。凄まじい風圧が、彼の黒々とした鬣(たてがみ)をかきまぜた。

 そして危なげなく着地する崇史。

 直後、彼の首元にランスの刺突が迫った。

「ぐッ!!」

 右手の釵で受けられたのは、とにかく僥倖であったとしか言えない。振り払った釵の「翼」にからめとられ、ランスの穂先はわずかに崇史の首から外れていた。

「ちぇっ」

 槍を握る鳩槃荼が、わざとらしく舌打ちした。

 けれど敵方の猛攻はこれで終わりではない。鳩槃荼が槍を引いた直後、次なる大剣の一撃が迫っていた。大上段からの切り落とし。崇史は半身になって辛うじてこれをよけると、ランスの攻撃を受ける前に大きく跳び退さり、距離を取った。決め手を欠いたふたりが、舌打ちしながら各々の武器を振るい、構えを整えた。

『......よし、よし。いい動きだぞ主どの......』

『簡単にやられつもりはないからな』

 二本の釵を逆手に持って、ボクシングに似た構えをとった。

 崇史は武道をたしなんでいたが、こんな武器は使ったことがない。にもかかわらず、まるで生まれたときから馴染んでいたように扱えるのは、これが尋常な武器でない証左なのだろう。

 そんなふうに考えていると夜叉姫が言った。

『想器は人間と魘、双方の力を結び付けた結晶である。その作用は単なる武器と言うだけでなく、人と魘のリンクを純化し、エネルギーの循環を効率化させ、以て基礎的な能力値を向上させる。ゆえにこれを扱えるか否かで、魘の戦闘能力は大幅に異なるのだ。主どの、想器をうまく使え。この危機を乗り切るにはそれしかない』

 力強く頷いた。さっきまで混乱の渦に翻弄されていた夜叉姫も、事ここに至ってはすでに肚を括ったようだ。

――そうだ。やるしかない。

――理不尽に負けてはならない!!

「ちょこまかと......」

 苛立ちをみせながら、那伽は一歩一歩迫りくる。だらりとぶら下げた大剣が、地面を削って火花を上げた。

 彼女は再び、大きく一歩を踏み込んで、割合遠い間合いから剣を振り回してきた。間合い遠しといえども、剣の長大なるにより、崇史の首を抉るに十分な距離である。退かざるを得ない。

 後方にステップをとって回避した瞬間、那伽の脇からずんぐりとした体がすり抜けてきた。鳩槃荼だ。彼の握るランスが、距離感のつかめぬ点の一撃でもって、崇史の腹を抉りに来た。息の合った連続攻撃。回避は不可。

「シャッ!!」

 咆哮した。今こそ釵の本領が光るときだ。崇史は釵を逆手に持ったまま、物打(刀でいう刃の部分)を肘にあてがって、トンファーの要領で敵の打突を撃ち落とした。当然ながら、腰の入ってない受けでは、攻撃を完全に払うことは出来ない。けれどこちらは魘鎧に身を包んでいるのだ。直撃さえ避ければ、致命傷にはなり得ない。

 ランスの先端は崇史の腰巻の左端を打ち、佩楯をかすめた。その衝撃で崇史の体が後方に弾き飛ばされる。けれどこんなものは致命傷には遠い。崇史は即座に受け身を取り、立ち上がった。

 受けることはできる。しかし、

『このままではジリ貧だな......』

 敵の想器は、両者とも長大なリーチを有している。一対一であれば、懐に潜り込んで滅多打ちにできようが、ニ対一ではそう簡単なことではない。しかも両者の連携は、かなりの練度に及んでいる。

「誰か、僕に助太刀する気のあるやつはいないのか!?」

 苦し紛れに叫んでみた。他の五人の魘たちは、さきほどから沈黙したまま、一歩も動かず傍観の態勢だ。事の成り行きがどうなるか――アマランサスの言ったことの真贋を量っているのだ。

「どうやら僕たちは、奴らのモルモットに認定されてしまったようだな」

 引きつった笑いがこぼれてしまった。

『笑えん、まったく笑えんよ』

 対して夜叉姫の声は沈鬱で、ほとんど泣いているようだった。

 そうこう言っている間に、敵の攻勢が第三波、第四波と立て続けにやってきた。那伽が豪壮な薙ぎ払いでこちらの体勢を崩し、その隙を鳩槃荼が正確無比な刺突で射抜いてくる。まともにやりあえる相手ではない。

 何とか身を躱しながらも、いつの間にか崇史は廃ビルの壁際に追いつめられていた。

『なあ夜叉姫、これ、またぞろピンチなのではないか?』

『ピンチだとも! 今さら気づいたか!』

 彼女は実は、肚を括ったというよりも自棄になっているのではなかろうか?

「さあ、覚悟を決めなさい」

 ふたりの人影がつかつかと歩み寄ってきた。長柄の武装が、血染めの空の光を反射して、濡れた輝きを映している。崇史の血を欲しているのだ。

 背中には廃ビルがある。完全に背水の陣だ。飛びのくことは出来ない。

 崇史は長く、ゆるやかに息を吐いた。これがもしかしたら、今生最後の呼吸かもしれない。崇史の意識が眼前の脅威へと集中していく。

 釵を握りしめた。この想器のリーチで先は取れない。狙うは後の先。しかして敵は二人。いかにして反攻の一撃を叩きこむべきか。

 那伽は右肩に大剣を担いでいる。崇史より向かって左後方に、ランスを構えた鳩槃荼が追随してくる。

 これまで、先手は常に那伽であった。必ず彼女が最初に、目くらまし的に、やみくもな一撃を与えてくる。きっと彼らのコンビネーションにおいては、相手を仕留める本命の一撃は、鳩槃荼による刺突なのだろう。ここまでわかっているにもかかわらず、実際にあの連携攻撃を前にすると、反撃の暇がない。大剣と槍の二重の攻撃を、こちらはかいくぐらなければならないのだ。

 如何にして、この危機を乗り切るべきか。

 考える時間は、長くはなかった。すでに那伽は、彼女の刃圏に崇史を捉えていた。

 思案の暇は終わった。那伽が呼気を吐きだし、構えていた大剣を力任せに薙ぎ払ってくる。背後の壁ごと、横薙ぎに粉砕するつもりだ。

 行動せねばならぬ。

 さもなくば、死ぬ!

「しッ!!!」

 直後、崇史は左手の釵を振りかぶった。ただしその釵は、那伽の攻撃に対して備えるものではない。

 崇史は振りかぶった釵を、鳩槃荼の顔面めがけて投擲した。

「ッ!?」

 意表を突かれた鳩槃荼。彼は咄嗟に左手を顔の前にかざした。彼の手甲に弾かれ、釵は地面に突き刺さった。それとほぼ同時、那伽の攻撃が崇史の頭部を薙ぎ払った。

 しかし、すでにそこに彼の頭はなかった。腰の高さまで沈み込み、彼女の一刀をかいくぐっていた。那伽の大剣は、ビルの側壁を粉砕し、突き刺さる。直後、沈み込んだ崇史の体が、左足を軸に反転した。

 そしてそこから、伸びあがるようにして繰り出されたのは、右足による回転蹴りである。手のリーチでは対敵に届かずといえども、足ならば届く! 鞭のようにしなった崇史の踵が、那伽の胸に突き刺さった。

「ごぶッ」

 息の詰まった声。那伽の体が後ろによろめいた。本来、間断なく追撃を見舞うはずだった鳩槃荼は、釵の投擲を受けたために、一拍の遅れを生じている。

 この隙こそ、生存への好機。

「らああああああ!」

 崇史は振りぬいた右足を踏み込んで、右手の釵を順手に持ち替え、我武者羅に突き出した。

 ついに、一撃。

 釵の先端は那伽の顎を正確に打ち抜いていた。

 声を発する間もなく、那伽の体が後方に弾き飛ばされた。那伽は背中から落ちて、ひび割れたコンクリの上を無様に転がった。

「なッ!?」

 鳩槃荼の視線が、そちらに気を取られた。

 この好機を逃すわけにはいかない。

 駆け出した崇史。それに気づき、慌てて視線を戻した鳩槃荼。崇史は右手の釵を振り上げ、鳩槃荼に躍りかかった。

「させるものか!」

 しかし彼の一撃は、あと一息の時点で止められた。ランスの柄が、崇史の突進を妨げるため、彼の脇をくぐって胴に当てられていた。しかし崇史は勢いを止めず、体ごとぶつかるように、鳩槃荼と取っ組み合いの体勢になった。

『間合いを潰す! 馬力を上げろ夜叉姫!』

『応とも!』

 大地を踏みしめ、力づくで押し切ろうとする。相手は重心を前に出して耐える。しかし、

「はっ、かかったな!」

 崇史は得意満面叫んだ。直後、崇史は全身の力を抜いた。踏ん張っていた相手は、当然つんのめってしまう。その足元を右足で刈った。彼は滑り込むように相手の足元に飛び込んでいき、相手の足を払ったのだ。

 驚きの声を上げ、鳩槃荼は受け身もままならないまま前のめりに転んでしまった。

『主どの、追撃を!』

『承知した!』

 馬乗りの体勢になり、鳩槃荼の首に手を回した。

「締め落とさせてもらう!」

「ぎぎ、ぎぎ」

 暴れる鳩槃荼を押さえつけ、首を締め上げる。すでに形勢は逆転した。崇史は自身の勝利を確信していた。

 だが、哀しいかな、彼は忘れていた。

 理不尽というのは、何らの予告も、前触れもなく起こるからこそ、理不尽足りうるのだと。

「あんたに勝たれるのは、困る」

 直後、崇史の後頭に強烈な衝撃が駆け抜けた。ハンマーで殴りつけられたような衝撃だ。崇史はたまらず、鳩槃荼の上に潰れた。

 彼自身には何が起きたのか、まるでわからなかった。

 事実はこうだ。

「油断したな、あんた」

 第三者の介入があった。理知的な青年の声を発するその者は、頭上から崇史の背中に飛びかかり、落下と同時に拳で彼を叩き伏せたのであった。

「あんたは僕のやったことを見た。これは、その口をつぐませるいい機会だ」

 その者は、灰色の襤褸を纏った、小柄な魘であった。

 そう、巻根市を騒がせる殺人鬼、その人だ。

 崇史には知る由もないが、実のところ、彼は自身の犯行現場を彼に目撃されたことを、たいそう不安の種にしていた。あの時彼は着甲していたから、崇史から素顔が暴かれることはない。理性ではわかっていたけれど、人間とは感情的な生き物だ。殺人鬼はここ数日、気が気ではなかった。心の平静を保っていられなかった。彼はその不安を払拭する機会を、待っていた。

 もろに一撃を受けた崇史は、意識をもうろうとさせていた。その隙に、彼の体の下から、鳩槃荼が這い出した。

「助太刀感謝します。見知らぬ人」

 殺人鬼はその言葉を無視して、崇史の上に馬乗りになった。

「殺してやる......、悪く思うなよ......」

 殺人鬼は拳を振り上げた。

『またこんなことに......クソッ! 主どの!』

 夜叉姫の叫びが耳に届いていたけれど、崇史は容易に体を動かせない。不意の一撃は彼の体に深刻なダメージを与えていた。

 しかし状況はさらに悪化する一方だ。大剣を握りこんだ那伽が立ち上がり、戦線に復帰しようとしていた。

「この......畜生......許すものか、決して」

 さらなる殺意を迸らせながら、彼女は不屈の闘志を宿して起きつつあった。

 絶体絶命。

 かすむ視界の向こうに、振り上げられる殺人鬼の拳を見た。

 崇史は死を覚悟した。

 黒い海嘯が見える。

 ああ、今度こそ己は、あの海に潜む黒い手に、連れ去られてしまうのだろうか......。

 禮泉崇史は目を閉じた。

 これは、その直後の出来事である。

「まったく」

 何やら甲高い音を聞いた。はじめは鳥のいななきだと思った。けれど実態は、そんなかわいらしいものではなかった。その汽笛は、異界の空を割るが如く鳴り響いた。

 それは、蒸気だ。蒸気の唸る音だった。

 突然、異界の空に軽快な衝撃音が轟いた。金属と金属が、激しく打ち合う音だ。それと同時、崇史の上に馬乗りになっていた殺人鬼の体が、かき消えた。実際には消失したわけではなく、凄まじい勢いで、はるか遠くまで吹っ飛ばされていたわけである。

 殺人鬼はその一撃で意識を失していた。頭から落ち、もんどりうって転がり、広場を横切った先の桜並木に激突してようやく停止した。そのままぴくりとも動かなかった。

 呆然とする鳩槃荼と那伽。立ち尽くすふたりの前に、ひとつ、大きな人影が現れていた。

「これだからシロウトは」

 殺人鬼を弾き飛ばしたものは、崇史の傍らで力強く仁王立ちしていた。

 崇史はぼやける視界を、懸命に開いた。彼の目に映ったのは、まばゆいばかりの純銀に輝く、フルプレートの体......。

「あんたは、乾......闥婆......?」

 そしてその者は紛れもなく、昨夜崇史を叩き伏せた、あの巨大な金棒を握りこんでいるのだった。

「無様ね、夜叉」

 彼女は唾棄するように言った後、どういう存念か、くすりと笑い声を響かせた。

「でもまあ、昨日よりはマシになってるわ」

 金棒をぐるりと振り回した彼女は、崇史の前に立ち、鳩槃荼と那伽の二人組に向けて、武器の先端を向けた。

『助けてくれるというのか......』

 信じがたいといった調子で、夜叉姫が言った。崇史も心境は同じだ。

 けれど、ごちゃごちゃ言っている余裕はないようだ。やっとのこと立ち上がった崇史は、右手に釵を構えて、乾闥婆の横に立った。

「どういう心づもりだ?」

「この戦いはひとりじゃ生き残れない。ある程度信頼できる相手が必要だったのよ」

「僕は信頼できると......? どこでそう思ったんだ......?」

 すると乾闥婆は、ちらりとこちらに視線を向け、

「だってあんた、人を出し抜けるほど賢くないでしょ?」

 辛辣に言い放った。

「ぬぐ、言ってくれるじゃないか」

「事実だもん。でも、そこが重要なのよ。この戦いは、何より裏切られないことが大切なの。そして私にとって、操りやすい莫迦であれば、なおさら都合がいい」

「言いたい放題だな!」

 ヘルムの下から、人を小ばかにした笑みが透けて見えるようだった。

「あんたは独善的で、ムカつくタイプだけど、あいつらよりは組みやすそうだわ。それに......」

 けれど次の一言だけは、乾闥婆から崇史に対して、敬意を込めて伝えられた。

「あんた、態度だけは一貫してたからね」

 崇史はしばらくぽかんとした。だがそのうち、胸の内からいわく言い難いむずむずとしたものが込み上げてきて、視線をそらしてしまった。

「とにかく、君は僕と共闘する気があると思っていいんだな!」

「嫌ならいいのよ? 向こうの仲間入りして、三対一でボコってあげる」

「誰も嫌とは言っていないだろう!」

 大声で応酬しつつ、両者、並び立った。乾闥婆の体から溢れる蒸気が、耳元で唸りを上げていた。

 対して、那伽と鳩槃荼も体勢を立て直していた。ランスと大剣をそれぞれ構え、二組はにらみ合った。

 これぞまさに、バトルロワイヤルゲーム。形勢は変転し、とどまることを知らない。

〈魘蠱遊戯〉の神髄はすでにその精華をあらわにしていた。


 だが、ここにいる者どものほとんどが、想像もしていなかった。

 この第一夜が迎える結末が、どういったものになるか。

 最初の犠牲者が、誰となるのか。

 いやまさか、彼女が「そう」であると想像したものが、この中にどれだけいただろう。


「あっは、あっはははははははは!!!!!」

 天上の最も近い場所。空高く伸びる神樹の枝の頂上で、少女は腹を抱えて笑い転げていた。少女というのは言うまでもない、このゲームの支配人、アマランサスである。枝の先端に腰かけて、神に最も近い視点で、彼女は長らく事の成り行きを鳥観していた。

 彼女が仕組んだ〈魘蠱遊戯〉は、すでにその展開を二転三転させていた。誰が勝者となり、誰が敗者となるか、息をもつかせぬ瞬間の目白押しで、見世物としては至上だった。

 だからこそ、アマランサスは笑いが止まらなかった。

「最高、最高だよみんな! まさに一世一代の大祭り! これぞ〈魘蠱遊戯〉!」

 彼女は満足のあまり、腹が膨れる思いでいた。人が向けあう敵意、殺意、猜疑心。それらを食むヒルのように、この世界で彼女は肥え太るのだ。

 未散という人間は「邪悪」そのものと言ってよい。

 彼女は人間の争いが好きだった。互いに信頼し合うべき人々が、握手を求めて手を差し出す代わりに、ナイフで互いの臓腑を掻き出し合うのを見るのが、愉快でたまらなかった。そんな自分を、未散自身「邪悪」であると自覚を持っていたし、同時に彼女は、すべての人間の悪性を愛していた。

 彼女にとって人間の闘争は、何よりも最高のエンターテイメントだった。小さな瓶に何匹もの毒虫を入れて、互いに殺し合うのを見て楽しむ......彼女にとって〈魘蠱遊戯〉は、そんな残酷な児戯に等しいものだった。

 毒虫を、人間に入れ替えただけだ。

「素敵......こんな素敵な蠱毒が見られるなんて、苦労した甲斐があった......」

〈魘蠱遊戯〉ははじまったばかりだ。これからもっとおもしろいことが、彼女を楽しませるだろう。

 愉快、愉快。

 未散は満足げに肩を揺らした。仮面の下の頬は恍惚の色を宿し、唇は深くつり上がっていた。

 するとその時、唐突に、彼女の背後に別の気配が現れた。

それは未散にとって、見知った人間の気配だった。

 彼女は振り返らなかった。振り返らず、下界の様子を指さして、子供のようにはしゃいだ。

「見てよ、この状況! 何もかもあたしの考えた通り、計画は完璧!」

 興奮のあまり、彼女の声は上擦っていた。

 けれど彼女の背後に立つ人物は、沈黙したまま声を返さなかった。その者が全身にまとう雰囲気は、今の未散と対照的に、暗鬱そのものだった。けれど未散は、そのことを不自然には思わなかった。「彼」は普段からそうだったからだ。

 しかし、いつになく高揚していた未散は、反応が返ってくるのを待ちかねて、背後に振り向いた。作り上げた玩具を自慢したいような、そんな心境に駆られていた。

 だが、振り返った直後、未散はその双眸を大きく見開き、硬直した。

「え......あ、あれ............?」

 電撃に打たれたかのように、彼女の体が前後に揺れた。彼女は振り向いたまま口をぱくぱくと動かしたが、言葉はまともに出てこなかった。

 喉奥から、生ぬるい液体がせり上がってきて、それが彼女の口端から零れた。液体は、異界の空より深い、深紅の色をしていた。

「ごぶッ......」

 未散の口から、血の塊が吐き出された。耐え切れずうつむいた彼女の視線の先に、信じられないものが映った。

 己の腹を突き破って、薄い金属が飛び出していた。

 それは、鋭利に研ぎ澄まされた、巨大な野太刀の刀身だった。

 あり得るはずのない光景に、未散は口から血を滴らせながら、呟いた。

「............これは、予定と、違うよ..................にいさん?」

 ゆっくりと、刃が彼女の背中から引き抜かれた。裂かれた穴からは、堤防が決壊したかのように、深紅の潮が溢れた。

 直後、未散の視界が宙を舞った。異界の景色がくるくると回転して、あらぬ方を向いた。

 未散は最後に、不思議な光景を見た。遠ざかっていく自分の体だ。セーラー服を着た少女の体は、首から上に赤々と華を開かせていた。彼女の背後には、野太刀を振りぬいた黄金の人影が、寂しそうに立っていた。

 その光景を、彼女は何故か綺麗だと思った。

 未散の意識は闇に落ちた。


 対峙する二組のうち、はじめに異変に気が付いたのは、鳩槃荼だった。

 彼はふいに視線を上げたまま、凍ったように硬直していた。その視線につられ、隣の乾闥婆も視線を上に向け、そのまま凍り付いた。

『どうしたんだ......?』

 二人してそんな反応をされれば、崇史といえども好奇心を抑えきれない。彼らの視線を追って顔を上げた。

 視界に映し出された光景は、確かに信じがたいものだった。

「み、未散......?」

 大樹の枝の先にふたりの人影があった。ひとりは鳥仮面の少女、アマランサスだ。その背後に、もうひとりの人影が立っていた。

 それは、黄金の色をした人影だった。

 そう、月曜の夜、アマランサスが〈魘蠱遊戯〉の招待状を渡してきたその日に、彼女を護っていたあの黄金の魘だ。

 崇史はてっきり、あの魘はアマランサスの味方だと、庇護者なのだと思い込んでいた。

 しかし今、その彼が、手にしていた長大な野太刀でアマランサスを串刺しにしていた。

 刃は少女の背中から腹を、完全に貫通している。

『これは......どういう......』

 頭の中で、夜叉姫も混乱を隠しきれていなかった。

 黄金の魘はやがて野太刀を引き抜き、直後、それを軽々と横に薙いだ。

 まるで冗談のような光景だった。

 アマランサスの首から先が、花を手折るように、あっけなく、ぽとりと落ちた。

 鮮血があだ花を咲かせた。血の色の空の下、本物の鮮血が噴き上がり、枯れ枝の先に一時の朱花を彩った。

 少女の体は均衡を失し、ぐらりとよろけ、前のめりに崩れ、枝から落ちた。

 若い鮮血を浴び、白い般若面を血染めにしながら、黄金の魘は天を仰いだ。

「これもひとつの魂に違いない」

 彼は、暗鬱な男の声で、そう呟いた。

「異界の腹も膨れようか」

 その言葉に応えるように、〈夢境異界〉の天地はゴロゴロと鳴動した。

「なんて......ことだ......」

 その衝撃は、それ以上の言葉にはならなかった。その場にいた誰もが、唖然としてその場に釘付けされていた。

 思うにアマランサスはカリスマだった。そのふざけた態度も含めて、只者ではないと感じさせる何かがあった。彼女は神のように、場の雰囲気を支配していた。

 それがこうも、あっけなく?

「い......いやだ............そんな」

 愕然とする崇史の耳に、そんな、動揺窮まった震え声が届いた。少女の声だった。

 どういうことだろう、その声の主は、隣に立つ乾闥婆のものであった。

 彼女の声が帯びた動揺は、単なるショック以上のものがあるように感じられた。けれどそれ以上のことを知る由はない。

 異界の崩壊がはじまっていた。

「ふむ、貴様でも足りたようだ」

 吐き捨てるように黄金の魘は言い、くるりと身を翻した。その時一度、こちらを見た。

 彼は低い声で言った。

「俺の目的はすでに為った。貴様らは、勝手に殺戮を為すがいい」

 彼は膝をたわめ、跳躍し、大樹の向こうへと消えていった。

 それと呼応するように、隣で乾闥婆が絶叫した。その絶叫の理由は分からない。ただ、何かかけがえのないものを失ってしまったかのような、魂を掻き削るような絶叫だった。

 直後であった。世界が崩れた。異界は大樹を中心として、ぼろぼろとその外形を乱し、表層を剥離させた。そしてその内側から現れた黒い潮が、その場にいた魘たちをことごとく攫っていった。

 すべては一瞬だった。

 何もかもが一瞬のうちに、収束してしまった。

 気づいたとき、崇史は鎧姿のまま、何の変哲もない自宅の自室に立っていた。

 時計の針が、チクタクと音を立てて時を刻んでいた。

 時間は、十一時七分。



 いつの間にか、

 何もかもわからぬまま、

 一度目の〈魘蠱遊戯〉が幕を下ろしていた。